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月明りが届かないように

 どこか遠くから、赤ん坊の夜泣きが聞こえた。景観保護のために、夜中になると町の光という光、音という音が制限される。街を歩こうとする者は、星や月の光を頼りに道を行き。耳に寂しさを憶える者は、風が草を撫でる音を聞いているのだろうか。もしかすれば、鳥の寝息に混じる私の微かな荒い喘ぎ声を聞きつけるものもいたかもしれない。まったく、今日の仕事は失敗だった。上手く血痕を残さずに、追っ手を撒けたのだろうか。今日ばかりは自信がない。天から私を照らす月明かりが忌々しかった。出来るだけ陰になる場所を選んで道を行く。
 子供のころは街にあふれる家なき子の一人だった。情けない事だが、スリ家業で日々の暮らしを凌いできた私は、ある日、殺し屋の男から財布を盗んでしまったのだ。いまだにアレが私にとって運がよかったことなのか悪かった事なのか分からない。
 私はすぐに殺し屋の男に捕まったが、どうやら腕を気に入られたようで、彼の養女となり、この家業に足を踏み込んだ。
 男の見込みは正解だったらしく、私は今日までほとんど失敗という失敗をやらかさずに、殺し屋業界でもそれなりの評価を受ける程度に育っていた。
 それが私におごりを生んだとは思えないが、今回の仕事で私は深くにも返り討ちにあってしまったのだ。もちろん標的の男は殺した。だが残党が恨み辛みを動力源に、私の命を狙っているらしく、この様だ。腹と足に何発か、致命傷ではないが鉛玉を食らってしまった。
 一時的な住処として使っているボロホテルの前にようやく到着した。ここも他の建物と同じく、もう屋内の明かりは必要最低限にしか灯っていない。アジトは定期的に移り変えているので、そう簡単に尻尾を掴まれている事はないだろう。もしも追っ手が待ち構えていたら……それはもう、運が悪かったとしか言いようがない。ともかく体を休めることを先に考えねばならないと判断して、私はここに帰ってきた。
「怪我をしているの!」
 ホテルの裏口から入ると、裏口で待ち構えていた人物に見つかり、思わず舌打ちがでた。暗闇でよくも判別できたものだ。おそらく血の匂いをかぎつけたのだろう。
「だからこんな仕事、やめろって……」
「余計なお世話よ。それで食べさせてもらっている身分のくせに」
 彼はいわゆるヒモ≠ニいう奴だ。私は身辺のコマゴマした世話を彼にやらせ、代わりに金を稼いでくる。
「いつもよりも遅いから、心配して待っていたんだ」
「すまないな」
 フロントの前を通り、螺旋階段を昇ぼる。受付係が、彼に肩を預ける私を見てどうおもったか想像に難くない。
「ねえ、本当にもう、そんな仕事やめようよ。酷い怪我なんだろ?」
「今回はたまたま。いつもなら、」
「関係ないよ。今回そうなったなら、次もそうならないなんていえないだろう? 今回のたまたまは、たまたま生きて帰ってこれたってだけだろ。なぁ」
 私は彼に、あえてあまり寄りかからないようにしながら、無言で階段を昇る。撃たれた太ももが重いが、ある程度動く事はホテルまでの道のりで分かっていたから。
「俺の故郷でさ、家業でも継ごうかと思ってる。一旦は逃げてきた場所だけど、帰れると思うから。一緒に行こう? もうそんな血なまぐさい仕事、やめよう」
 とうとうこの話が来たかと思った。前々から彼は、この話題を匂わせることを言っていた。私に普通の暮らしをしろというのか。彼の逃げ場所に、一緒に逃げろというのか。きっとそれは、私の過去と心が許さないような気がした。
 二階の自室に立つと、彼はポケットを探り、
「あれ……鍵がないな」
「フロントに預けてきたんじゃないのか?」
 私は「疲れているんだから、もたつかせるな」と態度で示した。
「そんな事ないと思うんだけど……」
 言いながらも彼は、螺旋階段を降りていく。
 昔とった杵柄。私は彼を見送りながら、先ほど上着から掠め取ったルームキーを床に置き、財布から行くばかりかの紙幣をドアの隙間にねじ込んだ。
 「さよなら」と彼に向けるつもりで言った。私はただ、そう言うことで私の気持ちに踏ん切りをつけたかったのだろう。
 太陽の下に出ろなんて、無理だと知っている。私には月の光さえも眩しすぎるのに。
 私は、そっと窓から上手い具合に外へと降りる。私は彼から逃げたのかもしれない。足より他の何かがズキンと痛んだ。
 どこか遠くから、また夜泣きが聞こえた。一人は寂しい。赤ん坊の時から誰もが感じる感情なのか。
 私は何かをぐっと堪え、月の光も当たらない、街の陰に姿を消すのだった。


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