「ウミガメのスープを一つ」 メニューを軽く掲げて、ウェイターに注文する。コーヒー豆を挽く手を止め、かしこまりました、とシックな返事。良いレストランだ、と改めて実感する。二十年前、仲間の一人が船を下りて店を開く、と言った時は随分と心配したがそれももう、昔の話だ。 使い込まれたメニューの表皮は、脂が染みこんでシックリとした良い色合いだ。ウェイター達の洗練された動きには無駄がないし、メニューの説明を頼めば難し過ぎず、長過ぎ無い豊かな言葉が返ってくる。 久し振りに会いに来た仲間は不在だったが、これなら足繁く通っても良い。そう思うには十分だ。 「あぁ、すまんがスープにあうワインも頼む。出来れば赤、辛めのものを」 店内に漂い始めたスープの香りに、たまらず喉を鳴らす。まだ昼時だが、こんなレストランで飲むワインは格別だろう。 運ばれてきた、ワインとスープ。ウェイターがコルクを外す仕草は、まるで手品師のようだ。適温に冷えたワインをグラスに注ぎ、ウェイターは軽く頭を下げた。 「君は、もうこの店で長いのか?」 「はい、二十年になります。店長と私は、開店からずっと、この店に居ます」 「道理で手慣れている。いや、店長には昔、海で一緒に遭難した事があってね。他の仲間は全員死んで、二人だけだったが、このウミガメのスープを彼が作ってくれて、飢えを凌いだんだ。あの味が忘れられないで、今日も思わず頼んでしまったよ」 「店長直々のスープより、味は落ちるかもしれませんが、うちのコックの腕もなかなかのモノですよ?」 「いやいや、あの時のスープは、今考えると酷いもんだったよ。何せ出汁は海水で湿気てたし、具もウミガメの肉だけだったからな」 スープは、あの時の濁った色と違い、狐色に澄んでいて 色彩鮮やかに散りばめられた野菜の具と スープと肉汁がしっかり蓄えられたウミガメの肉 思わず喉を鳴らした。スプーンでスープを一掬い。 「君、これはウミガメのスープなんだな?」 妙に気になった。ウェイターも、少し戸惑いながら、はい、そうです、と返す。あの時、船の残骸の上で飲んだスープを思い出す。スープを飲み込むと、鼻に抜けるコンソメの香りと、喉を灼く味。 脳裏に浮かぶ、あの時の映像。肉を咀嚼すると、程良い弾力がした。唐突に吐き気が込み上げる。肉と一緒に飲み下す。皿を両手で掴み、縁に口を付け、一気に吸い込んだ。隣でウェイターが唖然としているが、そんなものは目に入らない。無性に可笑しい。飲み干すと、笑いが吹き出した。 (後編へ) |
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