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こわくなくなった

 祖母の家は古臭くて、空気が淀んでいると思う。トイレに入ると防災頭巾を被った女の子がいて、「この頭巾がね、赤いのはね、私の血がね、染込んでるからなの」とぶつぶつと語りかけてくる。ガキの頃に散々脅かされてきたが、今ではもう慣れた。知ったことではないので聞こえない振りをするし、向うも聞こえないのが普通だと思っているので問題ない。
 幽霊や妖怪なんてものは、いまだにいるんだかいないんだか確信がもてない。トイレの女の子も、都会でビルの間を飛び回っている首に紐のついたおじさんも、民家の庭にたむろする人面犬の群れの、俺にしか見えない俺の妄想なのかもしれない。俺は俺が変な奴だと自覚しているし、だから俺はそこまでイカれた奴ではないはずだ。と、誰に言い訳しているのだ俺は。
 森と土と墓くらいしか見るものの無い祖母の家に来ると、時代錯誤の服装をした霊が木下でほのぼのとお茶を飲んでいたりして実に和む。夏休みには避暑にもってこいの場所だし、死んだ老人たちを見ながら涼むのも悪くないかと、ソレくらいに思っている。彼らは実に無害だ。
「にいさんにいさん。寄って行かないかい」
 地蔵がならぶ小道で声を掛けられ、ついはっとなって振り向いてしまった。地蔵と地蔵の隙間に、黒っぽい子供が座り込んでいる。こいつも、生きた人間ではないなとすぐに分かった。
「ほら、その地蔵の後ろの壁に穴があいてるだろ。ちょうど首がすっぽり入るくらいの」
「ああそうだな」
 たまには連中に付き合ってやるのも悪くないと思って、俺は答えた。
「いいね。答えてくれる奴はたまにしかいない」
 にんまりと子供は笑う。そして忍び寄るように俺に近づくと、服の裾を引いた。
「この穴はね、首切り穴っていうのさ。この穴から首を出すと呪われてね、すぱーんと首がちょん切られるって言う寸法さ」
「ばかばかしい。呪いなんてあるかよ」
 残念ながら幽霊にそこまで力のある奴に、俺は会ったことがない。物語にあるように、モノを浮かしたり、人を呪って殺したりなんて幽霊には出来ない。彼らが恨もうが憎もうが無駄なのだ。俺が、彼らが俺の生み出した妄想かもしれないと思うのも、彼らが少しも現実世界に干渉できないからだった。
「そうかいそうかい。なら首を通してみなよ」
 子供は俺の裾を引く。もちろん、俺の裾はひかれない。
「嫌だね。ほれ、腕で我慢しな」
 俺は地蔵の後ろに回りこみ穴に近づくと、ひじの辺りまで腕を差し込んだ。もちろん腕が切り落とされるなんてことはない。子供はソレを見ると残念そうに消えた。

 夜になると、幽霊も眠る。まあ元が人間だったんだから夜に眠くなるのは仕方ないというのが俺の持論だ。
 それでもたまには幽霊らしい気合の入った奴もいて、夜になると知り合った幽霊が俺の部屋に入り込んできたりする。
「よう、思ったんだが」
 部屋に地蔵道であった子供が現れた。
「手にもよ、首があるだろ。手首。首を入れたって事で、手首がちょんぎれるってことはないかね」
 まったくそんなこと無かったが、すこし哀れそうな顔をしていたので付きやってもいいかと少し思った。
「それがどうにもこうにも手の付け根が痛い。不自然に血管が浮き出ているような気がする」
「だろだろ? 呪いだよ」
 子供が嬉しそうに言った。ひらひらと舞い踊る始末だ。
「どうしてさ、お前はあの地蔵のところにいるんだ?」
「ん?」
 子供は首をかしげて目をつぶった。昔を回想しているのだろうか。
「そうそう。あそこで首を切られてさ。あの地蔵はそのときの慰霊地蔵なんだ」
 それから俺たちは少し話をした。留め止めの無い話をまとめると。子供の父親が領主から盗みを働いて、一家全員が打ち首にあったらしい。子供は最後に「今はいい時代になったな」と言った。俺からは沼で知り合った幽霊の話をしたら互いに知り合いで、彼女の死んだいきさつで盛り上がったりした。なんでも元は城に住んでいるようなお姫様だったらしい。いつも不遜な態度の森の天狗が、いろいろと面白い失敗をしている話も聞けてなかなか楽しかった。
 お互い、話すこともなくなってきた頃に子供があくびをした。
「じゃあ、帰る」
「ああ。暗いから気をつけろよ」
 幽霊に何を言うんだ、と子供はくすくす笑って、
「今日はありがとうな。20年ぶりくらいに楽しかった。最近は見える奴が減ってな」
「年寄り幽霊は、見える奴を脅かすのだけが楽しみみたいだからな。俺の経験から言って」
「その通り」
 やれやれだぜと俺は肩をすくめた。幽霊の知り合いはこんなのばかりが増える。俺もこいつらと話して昔話を聞くのが楽しみで、祖母の家にはちょくちょく帰ってくるわけだが。
「そうだ」
 障子の向うに一度消えた子供が、顔だけもどして俺に言った。
「トイレの頭巾いるだろう。あいつのことも構ってやれよ。お前がいないときなんて、しょぼんと寂しそうにしているんだぞ」
「いや、悪い奴じゃないことは分かるんだけどなあ」
 小さい頃にこの家に来るたびにトイレで散々脅かされて、それ以来どうもあの幽霊が苦手なのだ。他の幽霊はどうも思わないんだが。
「根はいい奴だぞ。若いからまだ死んだときのしがらみが強いけどな。それだけだ。じゃあまたな」
 そうはいっても、苦手なものは苦手だ。
 子供がいなくなってから明りを消して、しばらく布団の上で天井を見上げた。ときどき天井をかさかさと虫が歩く。よく考えると天井さかさまなのにあんなに速く動ける虫も、なかなかいないだろうか、きっとアレは虫の幽霊だろう。虫だって幽霊になる。そして死んでから寂しくなって、誰かに見てもらいたくて俺のような見えるやつのまえに少しでてきたりするのだ。モノも浮かせないし、呪いも掛けられない。世界にいるのに、世界に何も出来ない自分をもてあます。せめて見える人間を悪戯におどかしてやれと、彼らは自分の存在が確かにあることを主張する。幽霊とはそういうものなのだろうというのが俺の持論だ。
 暗闇の中で天井に張り付く虫を観察していて、不意にトイレに行きたくなった。
 トイレに行きたくなったというのはつまり、用を足したくなったということで、生理的にしかたないことなのだ。と、誰に言い訳しているのだ、俺は。


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