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進路のすすめ


 織田誠は大学の研究室から出て空を見上げた。真っ暗だ。この頃はひたすら研究に没頭することが楽しくなってきたせいもあって、いつも最後のほうまで研究室にいる。
 それにしても暗すぎるのは、暗雲が空一杯にかかっているからだろうか。重そうな雲。今にも一雨きそうだ。そう思っていた矢先に、ぽつり、と雨粒が落ちてきた。
 大学の適当な建物に避難する。家までぬれるの覚悟で急いだほうがいいだろうか。研究所に誰かの置き傘があれば、いいのだけれど。確か一人、まだ研究所に残っていたはずだ。織田誠は携帯電話を取り出して、彼女に電話をかける。
『もしもし。織田君どうしたの?』
「おーい傘ある? 傘! 傘!」
 返答に幾ばくか間があり、受話器から「あるよ」と聞こえた。助かったと、織田誠はほっと胸をなで下ろす。
『それにしても、もう少し分かりやすく喋れない? カサカサって、あなたゴキブリ?』
 宗田真理は、可愛げのない女だ。織田誠はいつもそう思う。

「はい、これ」
 彼女が渡した傘は、桜色の傘だった。ワンポイントだが花柄までついている。どう見ても女物だ。
「これで帰るのかあ」
「織田君がそれを持ったら、まるで不審者ね」
 それはそうかもしれないと織田誠も思うが、どうにも彼女に言われるとカチンと来る。花柄でも構うものか。と、さっさと部屋を出ようとすると、
「少し待って。帰る準備するから」
 宗田真理が彼を引きとめた。何故待たなくちゃいけないんだと訝ると、織田誠の表情を察知したのだろう。宗田真理は花柄の傘を指差す。
「それ一つしかないの。私にもカサカサ言わせるつもり?」
 気を使ってよと言いたげな態度が、織田誠を苛立たしげな気分にさせた。一言一言に自分を馬鹿にするような棘がある気がする。以前何か、彼女に嫌われるようなことをしただろうか。まったく不思議でならない。
 外にでると、やはり雨が小降りでいた。女用の傘の下で、二人並んで歩く。苦手な相手と離れるわけにはいかないというのはどうにも辛いと、織田誠は思う。何か話そうと思うのだが、何を話しても馬鹿にされそうな気がしてならない。宗田真理、そうだまり、総黙り。そんな下らない駄洒落を思いついたりして、やがて「もういいや」と織田の中で会話を諦めるけじめがついた。
 黙って数十メートルほど歩いたが、沈黙を破ったのは宗田真理のほうだった。
「織田君はいつも最後まで研究室にいるね」
 喋った。意外だ。密かに織田誠は仰天する。
「彼女とかに怒られない?」
「いねーよ」
「ふぅん」
 これはもしや、また馬鹿にされているのか。織田には彼女の言うことがすべて嫌味に聞こえて仕方なかった。研究室にしか、いる場所無いんだ。そんなニュアンス。
 それだけでこの会話はおわり、しばらくまた沈黙する。すると彼女がまた何かを質問し、答え、また沈黙する。そんなやり取りが何回か行われた。無理に話をしなくてもいいのに。織田は歩きながらそう思う。どうも空気がどんよりとしている気がする。それは雨のせいもある。夜のせいもある。そして宗田真理のせいでもあるような気がする。
「織田君は卒業したら大学院とか行くの?」
「多分ね。周りは就職しようとしてる奴も多いけど」
「勉強すきそうだもんね」
 普通だろう、と織田はおもう。
「まあ、彼女がいる奴は就職したがる人が多い気がする。結婚とか見据えてなのかな」
「ふぅん」
 またその返事かと織田は思った。しばらく黙って歩き、また宗田真理が口を開く。
「結婚ね。織田君はどんな結婚が理想?」
 織田はどうせいい加減な返事か来るのだからと、いいかんげんに返答する。
「帰ったら『あなた、ご飯にする? それともお風呂?』みたいなのでいいな」
 あははと宗田真理が笑う。いつも笑顔でいればかわいいのにと、少しだけ織田は思った。
「アナログだね。古い。私だったら」
 彼女は少し考えて、
「『あなた、ご飯はアキタコマチにする? それともコシヒカリ?』とか」
「まだ炊いてないのか」
 それは少し面白いと、織田も彼女と一緒に笑った。
「宗田さんって冗談も言うんだ」
「え?」
 その言葉は心外だったのか、宗田真理はきょとんと織田誠を見る。うーんと、小さく唸った。
「どうしたの」
 織田が訪ねるが、宗田真理は困ったように俯いて「えーっと」と呟く。
「私、けっこう冗談言ってるつもりなんだけどな。織田君に」
 そんなこと無いだろうと織田誠は思った。彼女の印象は、皮肉家で毒舌で嫌味しか言わないというふうだ。
「ほら。さっきも。カサカサ。とか」
 あれは冗談だったのか、織田は思ったが「そうだったね」と調子を合わせた。そういうことにしておいたほうが面白そうだったからだ。 
 いつの間にか、雨道もそう悪くない気分で歩いていることに、織田は気付いた。

 一年後。
 織田は卒業後の進路を、就職することに決める。
 早く「それともコシヒカリ?」という台詞を聞いてみたいからだ。


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