月が割れるのを、彼は見た。 空は暗い黒で、雲はなく、満月の周りだけが藍色に明るい夜だった。夜の散歩を楽しむため、田舎のさびしい道を彼は歩いていた。音は風が草木を揺らす音と、秋の虫たちの鳴き声だけ。夜目は利くほうだったので、月明かりだけが頼りの散歩。自然と視線は頻繁に月へ向く。 そろそろ帰ろうかなとし振り返り、月に目があった。 月が砕けた。 丸いはずの月の輪郭が突然いびつふくらみ、周辺の藍色の空は他と同じ黒に変わる。 同時にそれを見ていた彼も奇妙な感覚を味わう。割れた月からなにか圧倒的な者のが一瞬にしてやってきて、そして自分の顔を鷲掴みするような畏怖に似た感覚。手足が震え、満足に立っていられなくなった。真っ暗になってしまった月のあったはずの場所を呆然としてみていた。虫たちも、そして風さえも黙ってしまっていた。 静かになってしまった夜道を。いくつもの流れ星が照らした。月のかけらが暗黒に線を引きながら、鬼火かのように曖昧にまたたき、夜空に消える。 眩しさにたまらなくて、品田は顔面を布団の中にもぐらせた。まだ三時間しか眠っていないのに、きっかりいつも通りの六時五十分に目の覚めてしまう自分の体の融通のなさが嫌だった。 知り尽くした体のことだ。きっと二度寝しようにも寝かせてくれないだろう。大学の講義は九時から始まる。四十分もあればいけるのだから、こんなに早く起きる必要はないのに。 品田は、目覚める前に見た夢のことを考える。自分が子供の頃の夢だった。幼い頃の記憶なため細部な所は違っているかもしれない。昨日の記憶だって曖昧なのが人間だ。しかしあれは、10年経っても忘れられない夜の光景だ。 月が壊れたのは、世界的な大事件だった。割れた月の三分の一はそのまま地球衛生上を回り続け、残りは破片となって地球に降り注いだ。 この事件の原因はさまざまな憶測が飛び交うだけで、はっきりとしたことは分かっていないという。品田も興味はなかった。ただ、あの事件の日から自分の体に起きはじめた、人には言えない異変がいずれどうにかなればよいとは思う。 品田は布団からぴょんと飛び降りた。出かける支度をしよう。朝食をとりに行かねば。 家を寝るためだけの場所だと解釈している品田のこの部屋には、トイレと風呂とベッドしかない。親元から離れたくて引っ越してきた場所だ。これ以上めぐまれた環境も望むべくもない。 時間をつぶすのは得意だった。大学にいても家にいても代わらない。大学では授業に没頭していれば一日が過ぎ、家では窓から道行く人たちでも眺めていればいい。 気づけばもうその日の講義はすべて終わっていて、あとはバレーサークルにしつこく誘う友人をやんわりかわして帰るだけだった。 「いいだろ、な。ちょっと見て行くだけ!」 とその友人はいつも切り出し。 「いいって。こんな細い体でじゃバレーなんて」 と、言えば、 「またまた! 品田の運動神経がすごいのは知ってるよ。他の体育会系サークルも狙ってんだから」 と、言われ。 「人手が足りないなら他をあたれってば」 と、言えば。 「メンバーはたくさんいる。人数あわせがしたいわけじゃない。お前が欲しいんだ!!」 と、返される。 今日はどんなことを言ったのかは品田は覚えていないが、いつもそして最後に、 「はいはい」 と終わらせていたからきっと今日もそうしたのだろうと思う。 いい加減あの友人を、しっかりと諦めさせないといけないなと最近は思うようになった。品田は大学に遅くまで残っていたりする余裕はないのだ。 どうしたものかと考えながら電車に乗ったが、駅に降りる頃には今夜の夕飯はどこで食べるかに思考が移っていた。 迷った挙句、今夜は刺身だと決めた。十秒ほど迷ってしまったと品田は思う。思考無くただ優柔不断に迷う時間が品田は嫌いだ。 美味い刺身を出す店に行くために繁華街を通り抜け、住宅地に差し掛かった。 そのとき、若い女の悲鳴が聞こえた。 「や、やめてください!」 反射的に品田の目がそちらに向く。女子高生に、不良学生と思われる男が絡んでいる。同じ学校の男女にしては制服が違いすぎるな、と品田は感じた。 「いいじゃないかよお。お姉さん今暇でしょ? 俺も暇でさ、ほら気が合うじゃね」 ぼちぼちと何人かが集まってきているのにもかかわらず、不良は女子高生への無粋なアプローチをやめようとはしない。品田の分析では、髪を派手に染めれば恐れられて特別扱いされるのだと、彼は思っているのだろう。 「ほら、四の五の言わずにさぁ」 男が女の頭に両手を伸ばし、抱きかかえるようにして、品田は制止に入ろうと飛び出しかけた。しかしそれよりも、女が不良を押し飛ばすほうが先だった。 「やめてヨっ!」 音もなく、軽くぽんと放り出されたかのように、明らかに少し押されたというのではないとび方をして、男は近くの公園の茂みへと消えた。距離にして四メートルほどだったろうか。一瞬だけ集まった数人のあいだでざわめきが起こり、すぐに沈まる。 女子高生の右腕が獣の腕のように銀色の体毛を生やし、鍵爪のような手先へと変わっていたからだ。 「え……?」 彼女自身にも何が起きているのかわかっていない様子だった。呆然と、自分の利き腕を見つめ、「私の腕のある場所になんでこんな変なものがあるのか」といった面持ちで目を丸くしている。 「おい」 品田が数歩、彼女のほうに寄った。 女子高生は涙目で品田を見、「私……」と呟くと、自分にそのまま恐ろしくなったのかそのまま踵を返して駆け出した。 「おい!」 品田は制止するつもりで言ったが、駆けていく彼女にはその気持ちが伝わらなかったのだろう。止まらない。しかたなく、品田は彼女を追いかけた。もしかしたら……いや、もしかしたらもなにもなく、ほぼ確実に彼女は、品田の同類だ。 逃げる女を追いかける品田の後ろで、 「し、死んでるぞ!?」 という叫び声があがった。 一時停止し、振り返ると、ギャラリーだった何人かが公園の茂みから飛び出て腰を抜かしている。 どういうことか確かめたかった品田だが、それよりも女子高生を追うのが先だと判断した。迷いは無かった。 如月飛鳥は、人目につくのが怖くて裏路地に飛び込んだ。夕方の人通りのおおい時間とはいえ、裏路地にはそうそう誰かが入ってくることは無い。がむしゃらに走り、ときどきすれ違う人が驚いたように目を見開くのはきっと、自分の右腕のせいだと思う。 走っているうちに頭が冷静になるのがわかった。この獣のように毛むくじゃらの右腕は自分の腕なのだ。熊や狼のように鋭い爪は、自分の爪なのだ。一回りほど太くなってしまった腕は……制服の端を破いている。 見知らぬ不良に絡まれて、悪いのは自分ではないはずなのに、あそこから逃げ出したのは自分。戻ろうとは思わなかった。飛鳥に思えるはずが無い。 走り疲れてへたり込んだ。右腕を見る。場違いなこととわかってるのに、余計な考えが浮かぶ。こんな毛だらけで、朝の櫛入れにいままでの何倍時間がかかるだろうか。こんな腕でお箸を持ってご飯を食べたりできるのだろうか。このまま私は全身獣のようになって、獣のように皿に直接口をつけて餌を食べるのかもしれない。そこまで考えて、飛鳥の目に涙があふれた。左の腕でぬぐった。 「やっと追いついた。走るのが速いな」 声がして、飛鳥はびくりと体を震わせた。何かを言って答えたのに声にならなかった。そもそも飛鳥は自分が何を言ったのかもわからなかった。 ゆっくりと後ろを向く。しかし、誰もいなかった。 そして、猫がいた。 「あのままだと追いつかなかったから、服を捨てて、匂いを追ってきた」 猫が喋っていた。口がさほど動いてないのは、のどを震わせて喋っているのかもしれない。飛鳥はそんなことを思う。 「その様子だと、変身してしまうのは初めての体験だったんだな? 子供には多いらしい」 猫が言った。近寄ってくる。猫でよかったと思う。これが喋る犬とかだったら、飛鳥は恐ろしくてまた逃げ出してしまったかもしれない。 「なあ」 猫が聞いた。一瞬、鳴いたのかと思ったが、それは確かに言葉だった。 「あんた10年前、月が壊れるのを、見たんじゃないか?」 飛鳥が気づくと、利き腕は元の見慣れた肌に戻っていた。 夜になると、空には丸い月が浮かんだ。10年前までのような本物の月ではない。月が割れてから世界プロジェクトとして行われた『月復興計画』の作り出した換え物の月だ。人類の自己満足ではない。 月が無くなった事で海の満ち引きがなくなった。虫や鳥は、夜に目標とすべき月がなくなり、各国で絶滅に瀕する種族が相次いだ。その他さまざまな異変が起きた。偽者であったとしても、月の存在は地球に住む生き物にとって欠かせないものだった。 「でももしかしたら、月が壊れることは地球ができた頃から決まっていたのかもって私は思うの」 スーツ姿を着こなした朝倉はにこりと笑って、紅茶を品田と飛鳥の前に静かに置く。猫にどこに連れて行かれるのかと思ったら、ついた事務所で年上の女性に紅茶を入れられ、飛鳥の中では混乱に収拾がつかなかった。この事務所は近隣の変身体質の人間がときどき相談を持ちかけるために、ひそかに存在する事務所なのだとか。 「品田のニャンちゃんには、ミルクのほうが良かったかしら」 「人種差別的発言だ」 品田はぼそぼそと答え、紅茶を飲んだ。紅茶はストレートに限る。飛鳥は、先ほどの猫が人間になったことにまだ驚いている様子だった。 彼とはいつも通りのやり取りなのか、朝倉は先ほどの話を続ける。 「うん、それでね。月が壊れて、それを見てしまった一部の動物には変化が起きたのよね。これは世間様には秘密ってことらしいけど。見せてあげる」 そう言って事務所の端に朝倉は引っ込む。 すぐ戻ってくるような雰囲気だったが、飛鳥は品田と一時的にでも二人きりになることが何故か気まずかった。 「驚かないように教えておく」 ぼそりと品田が言った。のどの奥で呟くような喋り方で、この手の声を聞き取るのが飛鳥は苦手だ。 「月が割れるのを見た動物は、変身するようになる。もちろん人間も含まれる。変身の形状は、人によっていろいろだ。体の一部が変身する奴もいるし、全身が変身するようになるやつもいる。外見の特徴はなくても、寿命が延びたり、逆に短くなったりするだけの場合もあったりするらしいしね。」 文節の区切りごとに品田は紅茶で喉を潤し、喋った。 「しかも、変身体質は子供に受け継がれるらしい。朝倉さんが言いたいのは……」 「私の言おうとしていたことをとらないの!」 奥から朝倉が戻ってきたようだ。飛鳥はそちらを向いた。そして喉から悲鳴が出掛かった。 「えらいえらいぞ、飛鳥ちゃん。たいてい始めてみる人は悲鳴を我慢できないんだけどね。出さなかっただけえらいぞ」 出てきた朝倉は、Tシャツに着替えていた。出ないと服が破けるからだろう。両腕の手首の内側と肘の外側から大小二枚ずつ鎌のようなするどい刃物が生えている。手首のものは刃渡り二十センチほど。肘からの刃はその倍以上あった。両腕で計八枚の刃を持つ女がいた。 「ほら、さっきのスーツのまま変身すると、破けちゃってもったいないからね」 奥に入った理由を言ってから、すぐに朝倉は鎌をしまう。ぬるっと引っ込むように、鎌は朝倉の腕の中に、根元から沈んで消えていった。慣れれば思うように変身したり元に戻ったりできるのだと品田が教えた。 「うん、でねでね。月を見てなんでこんな体質になってしまったのかはまだ分かってないらしいんだけど、この体質は子供に受け継がれるのよね。つまり……これは星が生まれたときから決まっていた、進化の一つではないかなって私達は思ってるわけ」 「俺はそこまで思ない」 「例えば、公にはされないけど……アフリカの一部地域では、変身形質をもった新しい動物達による淘汰が始まっているらしいわね。巨大化したハイエナ一匹が象の群れを食い殺しただとかっていう噂もあるわ」 「それはデマだったらしね」 「そして政府は、というか世界全体が秘密裏に自然の急激な変化の抑制を……つまり新しく進化した私達を抹殺しようとしています」 「脅かしすぎだ」 「もう、さっきからうるさいわね! 空気の分からないニャンコ」 「人種差別的発言」 飛鳥は言葉が出なかった。抹殺。その言葉が重い。利き腕が重くなったようにも感じた。 「ほら、朝倉さんが脅かすから」 品田が気遣うように、飛鳥の肩をたたいた。 「世界が自然の摂理を抑えようとしているのは、動物に限ってのことだ。俺たち人間には人権問題も絡むから、矢鱈滅多らに排除されたりはしないさ」 「まあそうなんだけどね……」 朝倉が眉をしかめた。 「ただし、私達は同時に獣でもあるというのが、お上さんの認識よ。もしも人権で庇護すべき人間よりも、排除するべき獣であると判断されたならば……」 彼女は手首の内側から鎌を一枚だけ出して、首の前で横線を引いた。あまりの生々しさに、飛鳥の背筋がぶるりとふるえる。 脅かしすぎたかなと、さすがに朝倉も思ったようで、苦笑いを浮かべた。 「ま、気をつければ平気よ。普段の通りに暮らしていれば構わないわ。品田の話だと周りに腕の変化を見られたみたいだけど……見られたのに知り合いがいないようならそのうち噂ってことになって消えちゃうだろうし。変身すると力が増えたり、私みたいに武器のようなものが体から出てきたりするのね。かわいい猫になる奴もいるけど」 品田は何も言わなかった。 「変身能力をもった人間の中には……その力を悪用するやつもいたりするんだ。そういう奴が、獣認定されて狩られるのね」 飛鳥は、思わず立ち上がった。 「でも……でも私……腕で、人を突き飛ばして」 「あれは、明らかに相手が悪い。心配するな」 品田は多少の不安はあるものの、飛鳥を励ますためそういった。 「慣れればそう簡単には変身したりはしない。今までだって、ずっと変身はなかったんだろう?」 「月が壊れるのを見たときが小さい子供の頃だった人に多いのよ。本当はそのときに一度変身を経験しているはずなの。でも幼い頃だとそういうことって覚えていなかったりするでしょう? 成長してから、ある日突然変身しちゃった、っていうケースもあったりするのよね。ときどき」 一人でうんうんと朝倉はうなずき、それが彼女にとっての会話の終わりだったようだ。紅茶のなくなった二人分のカップを手早く事務所の水場に運んでしまう。 飛鳥はぼんやりと右手を見た。今は普通の手だ。これが獣のように毛だらけになるなんて……夢だったのではないかと思うのだが。やはり違うのだ、というふうにも分かっている。 隣で品田がぼそぼそと何かを言った。 「え?」 「怒りとかを爆発させて形にするような。そんな感じだ」 なんのことか飛鳥には分からなかったが、少し考えて品田が変身の仕方を教えてくれたのだと気づく。飛鳥はうつむいて、 「でも私、別に変身したいとかは思いませんから」 「それは違う。変身を操作できるようになれば、変身しないこともできる。操作できなければ、変身しないということすらできない」 じっと、品川が自分を見ていることを飛鳥は気づいた。初めて出会ったときはそこら辺にいそうな猫だった。今はしっかりと人間の姿をしている。飛鳥は自分が猫になることを想像してみた。意外と便利かもしれない。でも、きっと本当にそんな立場になってしまったらそんなことを思う余裕はないのかもしれない。 それを品田や朝倉は乗り越えてきたのだろうかと、飛鳥は想像した。最初は自分のように悩んだりしたのかもしれない。 思わず、控え目にだったけども、言葉が出た。 「変身って、どんな感じなんですか? ……痛かったりしませんか?」 かすかに品田が微笑んだ。 「いろいろ」 この人はあまり役に立ちそうにないなと、飛鳥は思った。 朝倉が夕飯をいっしょにどうかと誘ったのだが、品田は用事があるからと先に帰っていった。飛鳥はどうもこのまま帰る気にはない。親にはメールで遅くなると伝え電源を切った。朝倉が作ってくれた夕飯はインスタントラーメンで、入っておらず、しかも麺は伸びていた。 「変身するとね、人によって、時と場合によっていろいろなことがあるのよね。痛いときもあるわ」 飛鳥が品田にした質問に、朝倉は丁寧に答えてくれる。 「体が変化するわけだから、時には心にも影響がある。いきなり悲しいことを思い出したり、或いはものすごくハイテンションになったりね」 聞いてみれば確かに『いろいろ』なようだが、それにしたって『いろいろ』はないだろうと飛鳥は思った。 それに気づかない朝倉は、さっと立ち、飛鳥にも続くように促す。 「さあじゃ、飛鳥ちゃんも変身してみよっか」 「ええ!? いきなりそんな」 「いきなりもなにも、始めないことには分からないでしょ。聞くよりも成すが近道よ」 そうすると朝倉は集中した様子になり、「慣れれば……」というと、にょきりという音でも聞こえそうな動きで、両手首から鎌を生やした。 「ほら簡単。さあやってみて。こう日々のイライラを外に出す感じで。あるでしょ、嫌な先生とか友達とか宿題とかさ」 「え、うーん……とくにはいません」 「そうなの? 私は学生時代いっぱいいたけどなぁ。先生とか一回殴っちゃったりしてさ。ま、この話は関係ないね」 飛鳥の目が一瞬怪訝そうになったのを見て、朝倉は話を戻し、 「じゃあ、今日変身しちゃったことを思い出そうね。バカな男にしつこく絡まれて、イライラしてどーんてかんじ」 思い出して、飛鳥の気分は重くなった。あの不良に絡まれたとはいえ、突き飛ばしてしまったのだ。きっと怪我をしているだろう。変身したときの鍵爪のせいで、どこかに切り傷を負ってしまったかもしれない。 その様子を見て、朝倉がわたわたと慌てた。 「ご、ごめんなさい。やっぱり思い出したくないよね。私ってばデリカシーなくてごめんね」 「あ、大丈夫です。やってみます」 自分のためにがんばってくれている人を失望させるのも嫌だった。飛鳥は気を取り直し、目をつぶった。できるだけイライラをためて…… ざわりと体の中で何かがうごめくような、気持ち悪さを感じた。思わず目を開けてしまう。朝倉が心配そうに見ていた。 「だ、大丈夫です」 朝倉から目をそらし、もう一度集中するために、今度は窓から夜空を見た。 造り物の月が目に入った。 ぞわり。 また体の中に不気味なものを感じた。 品田は朝倉の事務所から家に帰る途中、少し寄り道をして、最初に飛鳥を見かけた公園にやってきた。そこは騒然となっていた。 野次馬と、パトカーと、報道者。三点そろって、場の雰囲気が何か事件があったのだと主張している。 公園の生垣には黄色いテープで人が近寄らないように予防線が張ってあり、そのなかで検察官がいったりきたりをしている。近寄るべきか、素通りすべきかを三秒だけ迷い、様子を伺うことにした。検察かんの何人かは藪の中を動き回って枝の端にで傷つけたのだろう。頬やなどに小さな切り傷や擦り傷を作りながら必死に現場調査をしている。ごくろうさまと品田は思った。 ニュースキャスターがカメラに向かってあらましを喋っているのを、品田は聞いた。 今日の五時ごろにこの公園で男女が争い、片方の女子高生とみられる女性が男を突き飛ばすのが目撃された。少女はそのまま走り去り、目撃した近所の住民が公園の茂みの中に突き飛ばされた男を確認しようとすると、男は公園の茂みの奥で死んで発見された。 品田は、そこまで聞いて、思わず公園の茂みを凝視した。 死体が発見された場所だと思われるところが検察たちのライトで照らされていた。血の跡などはない。 「やあ、品田君じゃないですか」 誰かが品田の肩を後ろからぽんとたたいた。 「……刑事さん」 振り返ると品田の良く知った顔があった。あまり会いたくない顔だ。 警察内部に、公には秘密にして作られた専門課。割れた月の影響で変身できるようになった人間たちが起こした事件を扱う課がある。正式な名前を品田は知らないが。 「目撃情報の中にね、君に良く似た人相の人間が、女子高生を追ったっていうのがあってね。いや本当に君がかかわっているとは思っていなかったんだが。ためしに待っていて良かった」 「何で待つんですか。捕まえようとでも?」 「まさか」 刑事はにこりと回る。 「重要参考人だよ。品田君。まだ任意同行だけどもちろん付いてきてくれるよね?」 「あんたはただ、俺を連れて行きたいだけだろう」 「まさかまさか」 心外だと言う様に刑事は首を振った。 「僕は正義の刑事だよ。そんな横暴はしないさ」 うそをつけ。品田はわざと聞こえるくらいに呟いた。刑事は聞こえない振りをして、 「さて、行こうか。いや来たくないんならいいんだよ。後で正規の手順をふんで向かいに行くから」 ここまで言われれば、品田は承諾するしかない。 「任意でついてってやるんだ。取調べはどこかの料亭でしてくれ。ついでに飯をおごってくれると嬉しいね」 「いいね。僕も夕飯がまだなんだ。何が食いたい」 「まかせる」品田は肩を落とした。 品田はチャーハンを二皿平らげ、アイスティーで口を湿らせてから尋ねた。 「なぜカラオケなんだ」 「いまさらだね。個室がある店がここしかなかったんだよ。さすがに仕事中の刑事が飲み屋じゃ不味いしね。ところ折角僕と君にしかいないんだ。さあ猫になってくれ」 「断る」 「残念。可愛いのに」 「それも人権侵害だ」 ちちちと刑事が指を振った。 「褒めただけさ」 「さっさと話を進めてくれ」 「そうだったね。もう一杯オレンジジュースを頼んでからでいいかな。待っているあいだ仏さんの写真でも見るかい?」 悪趣味なことを言ってから、インターホンに向かって刑事が注文をとる。いつもこうなのだ。何かにつけて品田に猫になってくれという。品田は飽き飽きしていた。 刑事が差し出した一枚の写真には、不良生徒が木に寄りかかるように事切れた姿が写っていた。舌がだらんと口から垂れ下がり、白目をむいている。顔は良く覚えてなかったが、それでもあの時に飛鳥にうるさく絡んでいた人物とは同じ人間だとは思えなかった。それ以外には、顔にも手足にも特に傷もなく普通なのだが。 「綺麗なもんだろ。後頭部にごつんと一撃。運がなかったんだな。可愛そうに」 そういう刑事は、たいして同情もしている風ではなかった。注文で届いたオレンジジュースをずるずるとすすりながら言うのだ。 「さて、逃げた女子高生について聞きたい。追いついたかい?」 「いや、見失った」 あえて、嘘をついた。 「嘘をつくとひげがぴくぴく動くのもかわいいよ」 「今の俺にひげなんてあるか。そんな人間怖い」 「まあ信じてあげよう。目撃情報に寄れば、彼女もライカンスロープだったというしね」 警察は変身する彼らをライカンスロープと呼ぶ。狼人間だとかそんな意味の言葉らしいと品田は聞いている。 「ああもちろん、ちゃんと情報規制はしてただの女子高生っていうことになってるよ」 品田はひそかにほっとした。公に知られたくないのは、警察もそうだが、品田にとっても同じなのだ。 「問題なのは彼女に殺意があったかどうかということだ。君のように猫に変身するような無害なのは別として、ライカンスロープにとって変身して殴るというのは相手を明らかに傷つけようとしている場合だけからね」 「その女子高生が故意に変身したのではなかったのだとしたら?」 「何でそう思うんだい?」 問い返されて、品田はぐっと言葉に詰まった。 刑事が品田に事態を説明するのは、品田が何か知っていると辺りをつけて情報を引き出そうとしていることは分かっているのだ。なのについ反射的に口を挟んでしまった。 「……なんとなく思っただけだ。あの女子高生がその、自分の腕が変身したことに驚いていた様子だったから」 「ふむ、なるほどね。ところでまだ猫には戻らないのかい?」 真面目な顔から一変して、刑事はニヤニヤと言った。 「……逆だ。いま人間に戻ってるんだ」 「両方とも君なんだ、同じことじゃないか。猫に戻るとしておいたほうがロマンチックだ」 「あんたにはね。チャーハンご馳走様。帰る」 「僕はオレンジュースを飲み終わってから帰るよ。なにか気づいたことがあったら連絡してくれー」 刑事が手を振ったが、品田は手を振らなかった。 カラオケボックスを出て少し歩いた頃に、品田のポケットのなかで携帯電話がぶるぶると震えた。朝倉からの電話だった。 「もしもし朝倉さん。さっきいつもの食えない刑事さんに目をつけられた。あいつだったら盗聴でもなんでもしそうだから、プライベートな話題は慎んだほうがいい。下着の色だとか、今日の夕飯の話だとか」 『馬鹿いってないの!』 さりげない警告のつもりで言ったのだが、馬鹿と返されてしまい品田は少しむっとした。それでも、朝倉のどこか切迫詰まった様子に、不安が胸をよぎる。 『あいつが盗聴してるならそれでもいいわ。大変なの! 飛鳥ちゃんが変身できたんだけど、テレビをつけたらニュースが流れてて、公園で死体が発見されたって……! それを見た飛鳥ちゃん、ショックで飛び出しちゃって』 整理されていない内容だったが、何が起こったのかを品田はなんとなくつかむ。今度は、彼が「馬鹿野郎」と呟いた。なんで静止できなかったんだ。 言っても遅い。品田は建物の裏に入り込むとすばやく服を脱いでゴミ箱に叩き込んだ。携帯電話を首からつるす。 ぞわりとからだを震わせれば、もう彼の体は猫になっていた。 表街道に飛び出し、風を拾い匂いを探した。飛鳥の匂いはない。 「くそっ」 ひげがぴりぴりとした。猫の体でいるときにひげがぴりぴりすれば、それは悪い予感だ。ひげを黙らせようと前足の爪で引っ掻き、品田は走った。がむしゃらに走れば、もしかしたら飛鳥の匂いが拾えるかもしれない。 住宅地に差し掛かったとき、今日どこかで嗅いだ匂いがした。その匂いが誰のものかは分からなかったが飛鳥のものではないのは分かった。 小さく「畜生!」と毒づいてしまう。今日は猫になっている時間が多かった。だからたくさんの人間の香りを嗅いでいるはずだ。それに惑わされてしまっているのかもしれないのだった。 どこだ。どこにいる。不安だけが募る。 品田は飛鳥を探す。飛鳥の匂いを探す。飛鳥の匂いの乗っている風を探す。なぜ猫に変身するのだと自分の体を呪った。犬ならばもう少しましに彼女を見つけられるかもしれない。 そのとき、一陣の風が吹いた。 「見つけた……ッ」 山のほうから吹く風に、飛鳥の匂いが乗っていた。しかし、その風には鉄臭い、血の香りも混じっていた。 品田が駆けつけたときには、もう遅かった。 それが飛鳥だということを品田は悟った。全身が銀色の毛並みをした、頭だけが狼で、人の形をした飛鳥が、木と木のあいだ、腐葉土のベッドの上にうつぶせに転がっていた。爪が赤色に濡れている。月の光も当たらない、暗い場所だった。 「飛鳥!」 小さい体で走って、品田は銀色の人狼のもとに駆け寄った。猫の足が地面の落ち葉を踏み、小さくシャリシャリという音だけが響いた。 「飛鳥、飛鳥!?」 陰になっていた腹部が裂かれているのを品田は見た。きっと、自分の爪で切り裂いたのだろう。 「品田、さん……」 鋭い牙が生えそろった口から、聞き覚えるある声がつむがれる。 「変身できたら、こんな姿だったよ、品田さん。わたし、わたし……」 「飛鳥、もう喋るな! いま救急車を呼ぶから」 「きゅーきゅーしゃ?」 飛鳥はもう目を開けてない。もう遅い、助からないなと、品田の冷静な部分が告げた。 「そんなのこないよ。だって私、人間じゃ、ないもの。人を殺しちゃった、獣だもの。姿だってほら、こんなに、こんなにけむくじゃらで、怖くて。あの男の人を突き倒したときの感触が私あるの。ずんって思い手ごたえで……」 牙が、がちがちと震えて音を鳴らした。朝倉が以前言っていたことを思い出した。全身すべてが変身してしまう者の場合、その半数近くが自殺する。体の変化が大きい分、心も不安定になるのだ。 「私、獣なのかな。私、人間でいたかったよ。品田さん……月なんて嫌い」 彼女は言いながら品田に腕を伸ばす。もう意識が薄れ始めているのだろうか。徐々に変身はとけ、もとの姿へと彼女は戻っていく。品田は何を言えばいいのかわからず、飛鳥に寄り添い、頬ずりをした。 「どうせなら、品田さんみたいな、可愛いのだったらよかったなぁ……」 「そうだな……」 もう、飛鳥は何も答えなかった。若い女の亡骸だけが暗い場所に横たわる。見上げても、木の葉が陰になり月は見えなかった。彼女がこの場所を選んだ理由が品田には分かったような気がする。 しなだれたひげで彼女を撫でながら、品田は刑事にこの場所を教えた。 「やつれているわよ」 かちゃんと軽い音を立てて、品田の前に夜明けのコーヒーが置かれた。 お互い様だと彼は答えようと思ったが、下らないのでやめた。朝倉はいつも、もっと静かにカップを置く。 「全身が変身するタイプって」 「それ以上言わなくても、前に聞いたよ」 「そうだったかしら……品田も、変に思いつめないでね」 ずずっとコーヒーを啜りながら品田は事務所のテレビをつける。ニュースが流れ、山で発見された如月飛鳥という少女について報じていた。テレビでその名前を見ても、ただの記号のようで、品田の心をかき乱しはしなかった。それともすでに、心の泥沼は白く乾き固まってしまっているのだろうか。 前日の公園での事件との関連は特に報道されていない。警察側から規制をかけられているか、単に無関係だと思われているだけかもしれない。 変身をしていると、時々妙な幻覚に襲われる。過去の悲しい出来事が急によみがえり、これほどない居た堪れない気持ちになり、自分を殺したくなるのだ。朝倉などはそこまでの衝動はないという。ああいう体質を月に授けられた飛鳥は不幸だったと、そう品田は思うしかない。自分にも時々訪れる衝動だ。飛鳥はそれに耐えられなかった。 (自分にも、か) 品田はふと自問する。飛鳥は人を殺してしまったことに呵責を覚え、理不尽な悲しみの衝動とともに自殺した。自分にそういう衝動が起きているとき、何を思い出して、自分を殺したくなるのだろうか。 確かにそういう衝動を何度か味わっている。しかしその原因がどんな理由だったか、何故か思い出せない。 「品田ってば!」 朝倉に呼ばれていることに気がついて、驚いた。 「もう、ぼーっとして。ぜんぜん寝てないんでしょ。一眠りすれば?」 それがコーヒーを勧めた人間の言うことかと、品田は苦笑した。時計を見ると午前五時三十分。 「いや、あと一時間二十分しか眠れないからいい。それよりもお替りをくれないか」 残ったコーヒーを一気に飲み干して、品田はカップを差し出した。 朝倉は事務所の炊事場にカップをもっていく。その背中に品田は話しかけた。 「なあ、もう飛鳥のことは忘れたほうがいいと思うか?」 「好きにすればいいと思うわ」 あっさりと、朝倉は終わった。そして付け加える。 「もう終わったことだし」 その答えに、「そうだろうか」とぼそぼそと品田は言ったが、それは朝倉には聞こえなかったようだ。 朝食を食べていかないかという朝倉の誘いを断り、品田はそとで軽い朝食をとった。 そのあとでいったん家に帰り、服を脱ぐ。 猫に姿を変え、外に出た。 少年の計画は、今日をいつも通りすごせるかで、成功か失敗かが決まる。 朝食にトーストを食べ、髪を整え、制服に着替えたあとは昨日の夜のうちに今日の授業の教科書をつめた手さげかばんを持って、朝の八時に家を出る。完璧だ。少年は失敗の不安に震える体を押さえつけ、学校への道を歩いた。 なにか抜かりはないだろうか。制服にしみが付いていないかどうかは昨日確認したが、見つけ損ねた箇所があるかもしれない。いつも通りではなく、すこしくらい時間をずらして遅刻したほうが逆に自然なのではないだろうか。色々な不安が少年の胸を渦巻く。 家から少し歩いた場所で道を曲がろうとしたとき、突然出てきた猫が、頭から体当たりするように少年にぶつかった。 予期しなかった衝撃に少年は尻餅をつき、手さげかばんを落としてしまう。 猫はさっとそれを拾うと、あさっての方向にすばやく逃げてしまった。 「あ、こらまて!」 かばんを持たずに登校するのは不自然だ。目立ってしまう。少年は猫を追いかけた。 誰もこの時間は通りそうもない雑木林の中で、猫はかばんを置いてさっさと走り去ってしまった。 少年は息を切らせ、これでやっと学校に行けるぞとかばんに近寄る。彼が学校に行きたいと望んだことなど、これが初めてかもしれない。 かばんを拾い、踵を返すと、そこには先ほどの猫がいた。 「お前の匂い……知ってるぞ」 猫が呟いた、ように一瞬見えて、少年は目を疑った。 「髪形を変えても、服装を変えても、匂いはごまかせない。数日前に女子高生に絡んだだろう。そして押し飛ばされた」 喋る量ほど口は動いていない。喉をふるわけせて、言葉を作っているのだから。 「そのお前がなぜ生きてる? 歩いている?」 少年は狼狽している。猫が喋っている? いや、隠れて誰かがどこかで喋っているに違いない。そして、知られてはいけないことを知られている。 「だれだ! 出てこいよ!」 少年は叫んだ。 声はその叫びを無視して続けた。 「茂みの奥でみつかった死体だけどな。奥まで吹き飛ばされたにしては、途中の枝なんかに引っかかってできるはずの擦り傷が少ないんだよな。ガキの浅知恵は恐れいる。お前……最初からあそこにどこかで殺しちまった死体をおいて、わざと女に絡んで、大げさにあそこに飛ばされたんだな? どうして殺したのかは知らない。勢い余ってだとか、半ば事故で偶然ころしてしまったとか、そういうことかもしれない。そしてそのまま死体をおいて逃げたんだ。殺人の罪を別の人間に負わせるために」 猫は思う。少年が幸運だったのは、ずさんなたまたま計画が成功したこと。罪を負わせるのに選んだ人間が、たまたま変身体質で、たまたまあそこで変身してしまったこと。とんでもない幸運だ。 引き換えにその幸運は、一人の少女をとんでもない不幸の底に突き落とした。 猫が一歩、少年に近づく。 「お前、それでも人間か?」 猫が、ぎりりと歯軋りをした。少年が後ずさりする。 「な、なんだよ、なんだよお前!」 猫がまた一歩、また一歩。少年にゆっくり近づいてくる。少年の足は震え、満足に後ずさることもできない。やがて木の根に引っかかり、転ぶように尻餅をついた。 「く、くるな! くるなよ!」 「吼えるなよ、獣。もう一回、死体の振りでもすればどうだ?」 「はい、そこまでですよ」 違う声がした。 自分が直接かかわりのないことで二日連続で事情聴取などうければ、誰だって不機嫌にもなる。朝倉だってそうだ。 例の刑事が帰ってから朝倉は品田を事務所に呼びつけるためにに電話をかけた。相手方はこれから学校だとか、いろいろと理由とつけて断ろうとしたが、最後は朝倉が怒鳴りつけてしぶしぶ来させることになる。 「あんた、馬鹿?」 この台詞も二日連続で言ったような気がする。言ってないかもしれない。どちらでもいいと朝倉は思った。 「もうほんと馬鹿。気遣った私も馬鹿。なにあんた。犯人追い詰めた探偵気取り? 見つけられたのが仲のいい刑事さんでよかったわね。ああもう。許せないとかその気持ちは分かるけど、そういうことじゃないってのは分かるだろ? 素直に刑事さんにまかせておけばいいじゃないか」 品田は何も言い返せないでしゅんとテーブルの前で小さくなった。コーヒーや紅茶は出ていない。なぜだか彼はあの少年を許せなかったのだ。 「そのなんとかっていう犯人君。刑事さんに忘却処理されて、あなたとかの記憶を消してから裁判にはいるんだってさ。あんたも忘却処理とかされてみる?」 一時間以上、こんなかんじで朝倉は品田を怒鳴りつけてる。 途中で事務所に何か用があってきた仲間も、それを見て苦笑してまた出て行ったり、朝倉に事のあらましを訪ねて再び最初から小言が始まったり。 「まったく、お前も獣になるつもりか? 私達にも迷惑かかるかもしれないんだから、少しは考えろよ。馬鹿」 「はい、ごめんなさい」 これでこの台詞を言った回数は三桁に入ったぞと、品田は思った。 永遠に続くおもわれた愚痴からようやく開放されると、もう真っ暗になっていた。朝倉が空腹に耐え切れずお開きになったのだと品田は思う。 「こんにちは品田君」 「いつも突然、話しかけてくるよな。こんばんわ刑事さん」 「いやいや。たくさん叱られてきたようですね」 「ずっと事務所を見張ってたのか?」 刑事はそれには答えなかった。 「それにしてもあんたも、俺たちと同じ変身体質だったなんてね」 「猫になっているとき、匂いがしなくてびっくりしたでしょう」 「そういう変身だったんだな」 「ええ、もちろん見せてあげません。ライカンロープ対策の秘密兵器ってことらしいですから、僕は」 「は、狼人間対策か」 そうですね、という意味で刑事はうなずいた。 「さしずめエクソシスト、なんて」 刑事が言ったことに、はいはいと品田は手を上げた。「せいぜいそのうち殉教しないようにな」別れの合図のつもりだった。 「あーあー。品田君。折角だからご飯でも食べていきましょう」 「おごり?」 「おごりで」 家に帰るのはもう少し遅くなりそうだ。 家に帰ってきた品田は服を脱ぎ猫になると布団の上に転がった。狭い部屋は、猫の大きさになるくらいがちょうどいい。 窓からちょうど換え物の月が見えて、そのまま品田は目をつぶって寝た。 夢を見る。 猫が一匹と少年一匹が夜道を歩いている俯瞰図を、彼は見ていた。 彼らがそろそろ帰ろうかなと道を戻ろうとしたとき、月の割れた事件は起きた。 一匹と一人はそれを見て、なにかに圧倒されて腰を抜かす。そのとき彼らに変化が起きる。少年はまるで昆虫のように皮膚が硬化しはじめた。猫は体が巨大化し、人間のような形をとる。 恐ろしくなった少年が、逃げ出した。人間の形になった猫は少年を追う。 月明かりがなくなり、真っ暗になった道で、少年は足を滑らせ川に勢いよく落ちてしまった。水音を聞き、少年となった猫はおろおろとする。 少年となった猫は飼われていた住処に戻る。両親は裸の少年を見て驚き、そして訪ねるのだ。 「一緒に出て行った猫は?」 品田は目を覚ました。夢のことを考える。もうほとんど覚えていないが、はじめてみる夢のパターンだった。何故か思い出すのも拒否したい、内容だった気がする。自分が子供の頃の夢だった。幼い頃の記憶なため細部な所は違っているかもしれない。昨日の記憶だって曖昧なのが人間だ。 そう、自分は人間だ。 品田は時計を見た。見るまでもなくいつも通りの六時五十分。 今日は試しに、二度寝をしてみようと、品田は思って布団に入りなおした。 |
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