両手の掌で画面を覆い隠せてしまえるほど小さなモニターが六つ、ソレよりも幾分か大きめのモニターが一つ。それぞれ六方向の宇宙が映し出されている。スクリーンに大きく映し出すほうが見やすいのだが、「電気がもったいない」という船長の命令で小さなモニターを使っているのだ。その船長は、三時間前にトレーニングルームに行った。おそらく二時間ほど体を動かして、そのまま昼寝しているだろう。周辺レーダーがときどき他艦の陰を捉え、輪の中に光がともる。この船との距離は近くて数百キロ、遠ければ二千キロ。挨拶を交わし、交信距離の許す限り雑談をすることもあれば、最初の挨拶だけで終わるときもある。 画面に映る光景に異常なし。それどころか星以外に何も無い。一番近い衛星は木星までの二億キロメートル。無数にある光の点のどれかが目的地の火星なのだ。このまま音速で移動していても、たどり着くまで地球時間で十五日かかる。実際には直線ではなく微妙な軌道修正を行いながら進むので、もう少し時間が掛かるだろう。 マットの故郷は金星で、現在位置から金星の軌道からは五億キロメートル。金星軌道のどこかにある金星までは正確には何キロ離れているのだろう。機械に計算させればすぐに答えは出てくるが、あえて手計算でやるのも一興だろう。なにせ宇宙では忙しい時間よりも暇な時間のほうが長い。大抵の危機は、コンピューターが自動で回避してくれるからだ。宇宙人との遭遇も、小惑星との衝突も、宇宙海賊もすべて映画や小説の中でのことだ。もっとも宇宙海賊の噂は時々、運送業の同業者たちから聞いたりもする。 だがマットが思うに、宇宙海賊という職業をこなすために一番必要なことは、誰にも知られないように海賊行為をすることだ。一度「どこどこに武装した海賊が出たぞ」なんていう噂が流れれば、海域権を持つ各星の政府が黙っていない。四十年も続いたといわれる星間戦戦争は事実上、四年も前に終わっている。木星と金星に移り住んだ者たちが地球に対して独立を訴え蜂起した戦争だった。木金星は地球と火星の連合軍に勝利した。しかしそれだけでは戦争が終わるわけではなく、領土問題などに関する戦後処理などのごたごたがまだ残っている現状だ。武力を持った集団が自分のテリトリーにいるという話が、たとえ噂の領域を出なかったとしても、どの政府だって過敏に反応するのは仕方ない。 マットは金星までの距離を算出し終えてから、モニターの一つを館内カメラに切り替えた。船長以外のもう一人の従業員の姿を探そうと思ったのだ。暇つぶしに船の倉庫を整理してくると言って出て行ってから――マットは腕時計を見て――二時間たつ。もしかしたら冷凍室迷い込み、積んである輸送品の牛肉と一緒にカチンコチンになっているかもしれない。 「マットー! マットマット! すごいもの見つけたよ!」 心配は無用だったようだ。画面に薄暗い倉庫が映し出されたのと同時に、騒々しく『もう一人』が入ってきた。背の低い金髪頭が長細いものをぶんぶん振り回して叫ぶ。短髪がさらさらと揺れ、照明に反射してキラキラと輝いた。 「なんだカムル。整理は終わったのか」 「火星を出てから、あそこを僕は五回は整理してるよ」 それにしては、マットがいつあの倉庫に行っても雑然としている気がした。 「ソレよりこれ見てよ。奥で見つけたんだ」 カムルが持っていた物を見せ付けるように掲げた。そんなものがあったなとマットは思った。黒い鞘のサーベルだ。私物倉庫の中には役立つものたたないもの、色々なものがあった。いちど整理に行ったとき女用のかつらと、女性服があった。男しかいないこの船で、あれは何のためにあるのだろうか? 「これほしい! 商品じゃないよね? 部屋に持って行っていい?」 黒い鞘の部分を持ちながら振り回すのは、刃が飛び出すかもしれないから危険だとマットは思った。 「それは船長の持ち物だよ。下手に扱うとこの船を追い出されるぞ、居候」 へえ、とカムルがまじまじと持ったサーベルをみた。柄や鞘や留め金にシンプルながらも装飾がされている。 「ユーリー、変わった物持ってるんだね。これ多分、軍刀だよね」 「よく知ってるな。俺は抜いたことが無いが、刃は潰されてるんじゃないか? 腰を飾るための刀だろ」 「ふぅん。抜いてみていい?」 「ダメだ。ここは操縦室だぞ」 「じゃあ何処だったら抜いていい?」 「何処でもダメだ」 カムルが不満そうに口を尖らせた。つまらなそうに柄についた留め金をパチパチとつけたりはずしたりする。その行為は銃の安全装置を悪戯にいじっているようなものだ。マットは心の中で思ったが、言いはしなかった。カムルの後ろに現れた長髪の男が、素早くカムルから軍刀を奪い取った。 「ガキ。振り回してんじゃねーよ」 「あ、ユーリー。カッコいいもの持ってたんだね。なんでこんなの持ってたの?」 「耳ほじるときとかに使うんだよ」 「えー。それ、嘘でしょ」 「当たり前だ」 サーベルをカムルに見せないような角度にもって、ユーリーは操縦室のドアから離れる。カムルが奪い返そうと近寄る。離れる。近寄る。 「くんじゃねー」 ユーリーが走って廊下の向うに消えて、 「ケチー! 見せて見せて!」 とカムルも一緒にいなくなった。 また静かになった操縦室でマットはまた七つのモニターのに向き直って、次の暇つぶしには何を考えようかと考える。本当は船長のユーリーと積荷の話しでもしようかと思っていたのだが、まあなにせ宇宙では忙しい時間よりも暇な時間のほうが長い。彼らの気が済んだ後ででもいいだろう。 今までユーリーが居た場所にまでカムルが到着すると、逃げているユーリーはもっと先に逃げている。さらにカムルが逃げたユーリーのいた場所にまで到着すると、ユーリーはさらにさらに先に逃げている。いつまで続くかを手計算で予測するのも面白そうだ。マットは腕時計を見て計算をやめた。そろそろ飯時で、料理を担当しているのは自分だからだ。経験的に、自分が料理に費やす時間は二十分なので、ユーリーとカムルが駆けっこを止める予測時間はいまから二十分後だ。そういう無駄な思考が、マットはたまらなく好きだ。宇宙は退屈との戦いだ。 ◆ ◆ 地球時間で八日前、木星の大都市衛星、ガニメデでの街中のことだ。 ユーリーが買い物に出かけるときはカムルをよく連れていく。戦災孤児で宇宙をあまり知らないカムルに、いろいろ教えるのが楽しいのだろうとマットは解釈している。 木星は物価が高いのだとか、金星では何故ブドウを炒め物にして食べるだとか、魚を食べるなら地球だとか、地球の衛星の月と言う星は外側にも星の内部にも町があるだとか、宇宙食にはある程度生ゴミの出る食べ物のほうが適しているだとか。 「知ってるか? この星の牛は、重力やら植物やらの関係で程よく硬く、臭いんだ」 「不味そうだね。育てる意味あるの?」 「牛は草を食べるとゲップしてメタンを排出するからな。メタンは気候を温暖化させるってんで、こういう太陽から離れた星じゃあ有難いんだな」 「でも増える一方でしょ? それともみんなしょうがなく食べるのかな」 「それがそうでもない。これをスモークにした食い物がな、一部の愛好家に癖になる珍味として好んで食べるんで、木星じゃあちょっとした名産の輸出品なんだぜ。ジュピタービーフって知らないか?」 「ユーリーも食べたことあるの?」 「もともと木星出身だったからな。昔は毎日のように食ってたよ」 「へえ。癖になった?」 「モウ二度と食いたくないな」 話をしながら二人がにぎやかな市場を歩いていると、人ごみに紛れるようにさりげなく、年老いた男が近づいてきたのだ。 「ユーリー様ですね?」 その言葉をカムルは誰だろうという表情で、ユーリーは少し緊張し「しまったな」という顔で迎えた。 「お茶でもいかがですかな」 二人が何かを言う前に老人は言う。 「あなたの妹様が、会いたいと」 ユーリーはソレを聞いて、 「カサエ様か」 「その通りですが、違います」 どういう意味? とカムルはユーリーを見る。彼の顔は「しまったな」ではなく、「困ったな」という苦笑に変わっていた。 ユーリとカムルが案内された家は、一般住宅街の一画にあるアパートの一室だった。特に豪華でも貧相でもない。身振りに上品さのある老人の案内だっただけに、カムルは通された場所が少し意外だ。 「お久しぶりです、お兄様」 出迎えたのは、ユーリーと同じ長髪の若い女性。どこか物腰がユーリーに似てるかもとカムルは感じる。どうぞと椅子を勧められ座ってから、カムルは疑問に思っていたことを聞いた。 「ユーリーの妹さんなの?」 「……いや」 あれ、とカムルは少し驚く。いつもは歯切れのいいユーリーが、こういう返事をするのは珍しい。 「なんというか、かんというか……なあ、説明していいのか?」 女性はにっこり笑って「ええ」と応じると、カムルに向き直る。 「初めまして。フーユと申します。ええと……なんというか、かんというか」と彼女はユーリに視線を向けながらくすっと笑った。意図的にユーリのまねをしたのだ。 「ユーリさんの妹分ですね。小さい頃、それはもうお世話になって」 「いもうとぶん」 「はい」 うーん。カムルは首をひねった。このお嬢様のような雰囲気のフーユに、「妹分」とかいう言い方は似合わないなと思ったのだ。 ここまでの案内役だった老人が、三人に紅茶を持ってくる。「ありがとう、ピエール」とフーユは言って、砂糖とミルクを紅茶にたらしかき混ぜる。一口飲んでから、思い出したように言った。 「それと、カサエ女王様の影武者です」 「誰それ」 あら? とフーユが口に手を当てた。 「知りませんか? カリストの現女王ですが」 「カリストってのは、木星の衛星の一つな。まあ王政国家なんだ」 ユーリーが補足で説明を入れる。カムルはぐるぐると目を回して、 「女王の影武者で妹分。う、うむぅ」 「まあ、急に言われても訳わかんねぇよな」 とユーリーが苦笑した。そしてカムルから目をそらし、彼女を見た。 「それにしても」 「はい」 ユーリーとフーユの目が合う。 「フーユか」 「はい。それが私の名前です」 彼女が満面の笑顔で言い切った。 「影武者だったころは名前なんてありませんでしたからね。名前があるのはとても、とても素晴らしい事ですね」 昔を思い出しているのだろう。目を細めて懐古する様子は、言葉に反してそう嫌いな過去ではなかったのだろうとユーリーは思わされた。返すべきか答えに困り「ああ、そうだな」とだけ言う。 「影武者をやめるなんて出来るのか」 その質問にフーユではなく、今まで黙っていた老人が代わって答える。 「いえできません」 「なら、」 「ですので」 老人は強くユーリーの言葉をさえぎる。 「ですので、フーユ様は影武者の役目を放棄したのです」 「戦争が終わったからだな」 「はい」 少し言いにくそうに老人は頷いた。年老いているために、より一層苦しげな表情をしているようにも見えた。 「もう女王様は命の心配をする必要がほとんど無くなりましたからね。女王様の一番近くに居たフーユ様は、国家機密などにも一番近い場所に居ました」 カムルが「わかった!」と手を叩いた。 「つまり、フーユさんが女王様の秘密をばらしちゃうのが、女王様は心配だったんだね。あわよくば消してしまおう! みたいな」 「まあそうだけど。なんかお前、頭悪そうな感じだな。デリカシーも無いし」 「ユーリー酷い」 ぶうとカムルが口を尖らせる。それからふと思いついたように、 「でも戦争ってまだ終わってないんでしょう? なんだっけ、戦後整頓?」 「戦後処理な。勝った国の取り分を決めたり、負けた国の処置を話し合いで決めたりするんだ」 「一億総懺悔とかだね」 「変な言葉は知ってるんだな」 ユーリーが紅茶を飲んで喉を湿らせてから説明する。 「事実上の戦争というか、勝った負けたを決める武力衝突は終わったわけだ。木星連は勝ち組のほうだからな。今度は勝ち組同士の中で権利の奪い合いなんかが裏で行われる。謀略だとか、有権者の親族を誘拐したりだとか、そういうのを含めてな」 「じゃあフーユさんは女王様から逃げる必要ないじゃん。それこそ影武者ほしいなぁって思ってるんじゃないの?」 「それでも戦中よりは少しは安心だろう? 逆に戦後処理が済んでしまったら命の心配が『ほとんど無い』から『まったく無い』に代わって、完全に影武者の必要性は無くなる」 そうです。とフーユと老人が頷いた。平和に近づけば近づくほど、彼女の生きる意義と逃げる機会はなくなっていく。 「完全にいらない、と判断されれば、すぐさま私は消されてしまうでしょう。星間戦争というのは、星の中だけの争いに比べてずっと消耗が激しいものなのです。そして女王様に掛かるお金とほぼ同程度のお金が掛かるのが影武者と言うもの。『維持費』が高いんですよ。影武者は」 彼女の使う言葉は自分に悲観的だとユーリーは感じた。 「それで、俺は何故呼ばれたのだろうか。懐かしかったとかだけなら俺も嬉しいんだが……国家から逃げ回ってる奴がそれだけで人を呼んだりするのは、ちょっと無用心だろう?」 「お兄様は、相変わらずそういう部分に敏感ですのね」 フーユが懐かしそうに目を細めた。 「お兄様の今のお仕事が、運送業だと聞きまして。つまり遠洋船をお持ちなのですよね?」 「物なら運ぶが、タクシー業界の株を奪ったりはしないよ」 「なら私が、お兄様の船で運んでもらえた人の第一人者となるのですね」 その様子は少し無理をしている。もともと彼女は、嫌がる誰かに強引に物を頼めるタイプの人間ではなかった。そしてそれをユーリーも知っている。 切羽詰っている彼女の状況は分からなくも無いのだ。影武者が逃げたとなると、カリスト上層部の人間は手加減せず彼女を探そうとするだろう。それに加担した者がいれば、闇に葬ることも辞さないかもしれない。それでもユーリーは、無下に頼みを断れるほど、彼女と薄い関係ではなかった。 「嘘ですよ」 フーユが顔を上げて言う。ユーリーにとっては、不意打ち的な言葉だった。 「え?」 「人として乗せてくれなくても構いません。ピエールが冷凍保存機を手に入れました。人間専用の」 「宇宙船の搭乗者は、入出港管理局で徹底的に管理されてますからね。どんなに上手く隠れていても、例えば水や食料の量と、最寄の宇宙ステーションまでの距離を見れば搭乗人数は大体分かったりもします。二十日近くの遠洋になると一人分の食料の差は随分なものになりますからね」 凍って仮死状態になれば、食料は要らないというわけだ。カムルは目の前の穏やかな女性が凍り付いて倉庫の中に入っている姿を想像して、想像したことを後悔した。 ユーリーが肩をすくめる。 「同じだろう? 乗る人間も調べる。載る荷物も調べる」 老人が頷いた。 「ですので私が貴方がたに、輸出の依頼を出します。ジュピタービーフを約十六トン。輸出先は金星でおねがいします」 「は?」 「その中の一つに、フリージングしたお嬢様に入って頂きます」 焦ったようにユーリーが老人の言葉をとめた。 「いやまてよ。牛の中に入るってどういうことか分かるか?」 「はい。X戦検査にできるだけ引っかからないように出来るだけ牛と一体化する必要がありますから。生の牛肉をくりぬいて裸で中に入り、その状態で冷凍してもらいます」 ひゅうとカムルが口笛を吹いた。 「フーユさん、やるぅ」 「だまれガキ。それは冷凍機の本来の使い方じゃないだろう? 中にまで一気に凍らせなければならないのに、牛の肉に阻まれる。断言するが、解凍後に必ず体にダメージがあるぞ。それでなくとも、冷凍保存法は人工冬眠法に比べてリスクが高いんだ」 「ユーリー。そんなのおじいさんもフーユさんも分かってるんじゃないかな」 「お前は黙って」 「黙らないよ。ユーリー。それだけこの人たちは切羽詰ってるってことでしょう? 出来たらなにも失うものが無いほうがいいけど、命がけだから構ってられないってことじゃないの」 カムルの反撃に、フーユも老人も驚いていたようだった。もっとおとなしい子供だと思っていたのだ。木星社交界では、暗黙的に名前を尋ねない。相手から名乗るのを待つか、自分が相手を認め、名前を知りたいと思ったときにだけ尋ねるのだ。 「貴方、名前は?」「お名前は?」 とフーユと老人は同時に口を開き、そしてお互いに苦笑して顔を合わせた。木星の社交界を知っていたユーリーも苦い顔をする。カムルだけは唐突な質問にきょとんとした。 「カムル・キスティアです。ユーリーの船の雑用係の」 「良いお名前ですね」 「ありがとう。好きな名前なんだ」 カムルが言うと、フーユも 「お礼を言うのはこちらが先であるべきでしたね。私達を理解してくれようとして、ありがとうございますカムル」と頭を下げた。 「お兄様だめでしょうか。もう余裕はなさそうなのです。生きるために、何かを失う覚悟は……多分できています」 ユーリーが諦めたように、苦笑した。 「牛十六トンも俺の船に入るかねぇ」 「およそ四十頭分ですね」 老人が答えた。 「すごいなぁ。一キロステーキが何枚食べれるんだろう」 「腹ペコ怪獣が。お前が一生働いても返せないほどの額になるわ」 「そうですね。これくらいでしょうか」 指を一本立てて老人が苦笑いする。ユーリーは冗談で言ったつもりだが、一般人が一生働いて返せないほどの、というのもあながち嘘ではないかもしれない。人間を冷凍させる機械もけして安い買い物ではないだろう。彼女と老人の間に、どんなエピソードがあるのかは知れない。だが慎ましく苦笑する老人を見ていると、引き裂くには可哀想な信頼関係があるのかもしれないとユーリーは思った。 ◆ ◆ そして八日後の今に至る。 マット、ユーリー、そしてカムルは宇宙船で夕飯を食べていた。献立はお好み焼きだ。 「なあマット」 「なんだユーリー」 カムルとの鬼ごっこを終えて、食卓を見たユーリーが呟いた。 「前の食事の時に、ブドウ炒めをそろそろ止めろと俺は言った」 「聞いた」 「でも、お好み焼きの中に入っている干しブドウは何だ?」 「美味いぞ」 カムルがけらけらと笑う。ユーリーが嘆いた。 「マットはブドウが好きだよね。さすがブドウの星、金星人!」 「俺は最初に金星に移り住んだとき、ブドウの苗を持っていった人間を呪う。前報酬は沢山貰っただろう。肉とか魚とか、もっとリッチな食事は出ないのか」 「文句があるなら、いつも炊事を人に押し付けないで、自分でやれ」 もくもくとマットがブドウ入りお好み焼きを食べた。ソースとマヨネーズをかけると香ばしい。 「お金がないときとかは、ケチャップとかだけ舐めて三日間くらい過ごしたりするもんね。それに比べればいいと思うよ。ブドウだらけの毎日も」 マットは端を進めながら少しだけ考えて、 「それは褒めてないな」 「気付くの遅ぇー!!」 「食事中に叫ぶのは行儀悪いね!」 わいわいと食事は進む。リビングルームに設置されたモニターは何も無い宇宙を写し続けていたる。暗く冷たい宇宙の中で、小さな箱舟に乗りわいわいとやりながら食事をとる。身を寄せ合うような感覚が、カムルは好きだった。 ひとしきり落ち着いた頃、お茶を啜りながらマットが口を開く。 「ところで船長。あの牛肉のことだが」 彼にもユーリーは事の経緯を説明していた。仕事仲間であり家族同様である関係の中に、隠し事はさほどない。 「追っ手が来るのならばそろそろだな。明日か。明後日か」 「そうだねぇ。もう少し進んだら、だろうなあ」 黒い宇宙しか写さないモニターをぼんやり見ながら、ユーリーは応じた。 宇宙の地図があるとするなら、現在地は火星軌道と木星軌道の中間付近。小惑星帯とよばれる宇宙域に入る。小さい(とはいっても大きい物で直径千キロ)石塊や氷塊が無数に漂っている空間だ。宇宙冒険家ウィリースミスはこれを「太陽系第一番目の殻」と自書に書いた。ただし実際に小惑星帯の中に入ってみると、みっしりと小惑星が漂っているという想像を打ち消される。それぞれの小惑星と小惑星の間の距離は肉眼で捉えられないほど離れている場合が多く、好き勝手な方向や速度に公転する小惑星同士が衝突ことも滅多にない。超音速で移動する宇宙船であっても、レーダーと回避進路の決定と推進力さえしっかりしていれば小惑星の接近を許すことはまず無い。 だが、木星と火星の暗黙的な境界線地帯であるこの場所は、機雷が多いことでも有名だ。先の星間戦争で木星金星は地球に対して独立権を訴えて蜂起する。地球は火星と手を結びソレを阻止しようとしたのだ。そのような歴史から、木星と火星の間にある小惑星帯には戦時中に機雷が多くまかた。それはばら撒かれた機雷は、公式には90%回収されたということになっている。しかし極稀に、レーダーに不備があり、漂う機雷と運の悪く接触してしまった貨物船が沈んだという出来事も起こっていた。 例えばここで、ユーリーの船が何者かに壊されたとしよう。その事件を何者かにもみ消されられずにニュースで報道されたとしても、この場所を知っている有識者ならば宇宙海賊に襲われたのかもと思うよりもよっぽど現実的な想像として「ああ、また安物のレーダーを使って宇宙にいった馬鹿が、運悪く嫌いを踏んだのだな」と考えるのだ。宇宙において賢い者とは、あらゆる不運に見舞われないよう最大限の努力をする者だ。愚か者はそれを怠る。 「俺はさっきまで寝てたから、今度はマットが寝てくれ」 食卓をの上を拭きながらユーリーが指示する。人間は十分な睡眠を取らなければ十分な判断が取れない。有事のときほど寝るのが仕事だ、というのがユーリーの持論の一つだった。 「ユーリぃー。僕は?」 「お前は……そうだなぁ。操縦もできないし、モニター技能も信用できないしなぁ」 「モニター見るくらい、僕だっていつもしてるじゃないか」 何か仕事があるか考えていたユーリーは、苦笑してカムルの髪を撫でる。若い人間らしい、細やかでさらさらとした感触の金髪だ。 「宇宙を漂う石くれがを探すのとはまた別なんだよ。生きた人間を見張るってのは」 「じゃあ次にこういうことが会ったときに備えて、ユーリー達の見張り方を観察して覚えるね」 「次も前もあってたまるか。ハラハラどきどきの宇宙紀行は一回限りで十分だよ」 皿を洗い終わったマットが「ところで」とユーリーを見た。 「発信はどうする? 信号は止めておくか?」 宇宙船は基本的に、自分がそこにいるという信号を周囲に送り続けていなければならない。宇宙ですれ違うことは稀だが、他の船に自分の存在を知らせて衝突を防ぐためだ。これも「万一の不運を回避する努力」の一つというわけだ。 「いやそのまま発信しておいてくれ。信号を出さないでこそこそ泳ぐ怪しい船なんかになっちゃいけないよ」 それに特別なステスルが着いているわけではないのだ。軍の装備があれば、信号の有無など関係なくこの船を見つけることは容易い。そして電脳武器と一般に呼ばれる攻性ハッキングを仕掛けられれば、彼方から光の速度でやって来た脅威に、瞬く間にこの船は無力化されるだろう。 もちろん出発前に細心の注意を払っている。今回の仕事で一番重要なのは、いかにこの船にフーユが乗っていないかを知られないか、ということだ。それの成否がイコールこの仕事の成否でもある。軍隊の船に狙われれば、こんな民間船が宇宙で無事にいることなど夢のまた夢。砂粒の中から、一つだけガラス粒を見つけ出すような難しさだ。 絢爛な内装。ガラスのテーブルと、革張りのソファー。珍しい、そして美しい観葉植物。完備された空調。そしていま自分がくぐったのは、荘厳な木製のドア。どれだけ強く叩いても、人間だけの力で破壊するのは難しいだろう。 昔の夢を見ているのだとユーリーは悟った。 部屋の中で待っていたのは、少女。幼い女王カサエと同じ顔だが、その女王よりもさらに幼く見える。木製連盟カリスト惑星王政国家の女王の三人目のクローン。影武者。 「は、はじめまして。よよよよよろしくお願いします」 その少女はおずおずとユーリーに会釈した。彼女に名前は無い。一人目のクローンの名前はツインと言った。皆、女王を愛すのと同じように、ツインのことを愛した。しかしツインが何者かに殺され、次に生まれた影武者に、誰も名前をつけなかった。「影」と皆は彼女を呼んだ。二人目が何者かに殺されたときツインが死んだときほどの悲しみは無く、ああ名前が無いのは正解なのだと皆は思ったのだ。 「初めまして。ユーリー・ムスラクと申します。いつもではありませんが、あなた様のお世話役を仰せつかりました」 今では考えられない口調だなと、自分の言った言葉に思う。 「よ、よろしくお願いします」 「それを言うのは二回目ですよ」 ギクシャクとした彼女の動作がかわいらしく感じ、ユーリはくすりと口元を隠して笑う。ああこれは、妹が出来たようだぞ。 例えば彼女に、木星の牛肉と他の星で作られた牛肉の味の違いを教えた。 金星から帰ってきたときは、金星人はブドウを炒めて食べるのだと教えた。 クィディッチという、宇宙空間で専用の機体に乗りボールを取り合うスポーツの事も話した。 「つまりですね。つまりです。その選手の何がすごいかと言うと」 熱く語るユーリーに、愉快そうに合いの手が入る。 「つまりですね。つまりです。何がすごいかと言うと? お兄様?」 「ああ、私のいう事の真似ばかりしますね」 どこどこで流行の服装が、漫画が、音楽が面白い。可笑しい。くだらない。楽しい。素晴らしい。 彼女は聞くたびに興味深そうにユーリーの話に耳を傾ける。「ああ羨ましいなぁ」と最後に呟く。 「あなたもきっと、自分で体験しに出かける日がきますよ」 若い頃のユーリは言う。 「いつ来るでしょうか」 「戦争が終わったら、きっと」 若い頃の自分は微笑む。 「いつ終わるのでしょう」 「すぐに終わらせますよ。あなたのために」 ああ。若い頃のお前は、何も分かっちゃいない。 いや、分かっていた。影武者が必要なのは、戦争中だからなのだと。 平和になってしまえば、彼女は必要ではなくなるのだと。 だから戦え。戦争をしろ。 王国の兵士として、ユーリーは戦艦を指揮する。敵の拠点を攻撃する。 きっとそのとき、親を失った子供がいただろう。子供を失った親がいただろう。 終戦間近にユーリーは恋人を戦争で失う。 大きな虚脱感と共に、自分のすべき戦い全てが終わったら地位も名誉も捨てようと思った。 勝利を祝う催しで、そっと女王に近づきソレを伝える。 「そうか」 と女王は頷いた。 「だが、私の影は寂しがるな」 影と同じく、自分を慕ってくれる少女だった。まだ成人もしていない頃から大人に囲まれていた彼女にとって、比較的歳の近かった自分はきっと親しみやすかったのだろう。 女王カサエに手招きされ、人ごみから離れて二人だけになる。 「あの影は、私の遺伝子から生まれた、私の子供だ」と彼女は言った。 「私の子供は三人いて、うち二人は死んだ」と彼女は言った。 「もうすぐ、戦争が終わるな。ユーリー」と、彼女は言った。 ユーリーは少しだけ、最後の言葉の意味を考える。 「連れて行けということですか?」 カサエはユーリーを見た。頷きもしない。首を横に振るわけでもない。伺うように覗き見た。 「そしたら四人目が生まれるでしょう」 「それはない。もう戦争は終わったのだ。影はいても構わないが、いなくてもまま構わない。そういう時代になるのだ」 「……追われない保証は?」 「ない」 女王は断言した。分かっているだろう? と言いたげに。 彼女には、そこまでの決定力は無いのだ。彼女の名の元に、王国は動く。しかし彼女が自由に動かせるものは少ない。 ユーリーを見つめる目は、信頼に満ちていた。断れるはずが無い。そういう自信に満ちていた。ユーリーはその目を、高慢だと感じてしまったのだ。 「私を、これ以上戦争に巻き込まないでください」 権力の思い通りになるのはこれ以上嫌だと、ユーリーは思ったのだ。 女王の口元が震える。口の動きがユーリーには読めた。「おにいさま、そんな」 後編へ |
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