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エレメンタルキラー

 僕ことフジミ・ショーハウエルは今、片思いをしている。これまで幾つもの恋をしてきた。でも今している恋が一番だって、断言できる。
 宿の看板娘シルクさんは、なんというか他の人間とは違うのだ。シルクさんの横をすれ違うと、さらさらの髪から甘い香りが漂ってくる。僕は毎回、くらくらとして倒れにそうになるのを必死に我慢しなければならない。「あらフジミちゃん。今日もいい天気ねー」なんて声を掛けられるたびに、心臓が飛び出そうになる! 空も眩しいですが、シルクさんの笑顔の方が百倍まぶしいです! ちゃん付けで呼ばれたり、ときどき屈んで頭なでなでされてしまうのはちょっと悲しいが。まあなでなでは嬉しくもあり悲しくもあり? という感じで、僕の毎日はそれなりに充実している。
 部屋の窓をじっと見た。向う側は暗い夜。こちら側には子供の姿が映る。はあ、溜息が出た。
 僕の体が、二十年前からずっと子供のままでなければ、今の毎日も最高なのに。

 僕が十一歳のとき、父に貰ったオルゴールを開けたのが悪夢の始まりだったのだ。オルゴールの中にいた自称精霊のラッチョに取り付かれて以来、大自然の恩恵だかなんだかよくわからない効果で、僕の成長は止まってしまった。なんでもすごい再生能力だか浄化能力のおかげで、僕は歳をとる速度が通常の十分の一くらいになったらしいのだ。その割には怪我をしても普通よりちょっと直りが速い程度だし、他の人がおなかを壊すような食べ物を食べても少し気持ち悪くなるくらいで済む、程度の話だけど。
 酒を飲みに出かければ「まだボウヤには早いよ」と追い出されるし、夜の街を歩いていれば憲兵に職務質問されるし。なにより、どんなに人を好きになっても「君には早いよね」とか「おませさんなんだからー」とか「あと五年経ったらね」とか「チビ」とか。ああもう! 思い出しただけで涙なしにはいられない。大自然だかなんだか知らないけど、僕の青春を返せといいたい。
 とりあえずむしゃくしゃした気持ちに身を任せ、家を飛び出して七年。各地を放浪して僕がたどり着いたのがこの宿、エルレーアの街の『銀の剣亭』だった。
 そして出会ったのだ、女神に……! いや、女神はちがうかな。天使。一厘のコスモス。なんていえばいいんだろう。シルクさんを的確に言い表す言葉なんてないに違いない! 天使のごとく地上に舞い降り、薔薇のように芳しく、宝石のように輝いていて、水晶の様に透き通っていて、太陽のように暖かく、しかしまた月の光のように神秘的でやわらかいのだ。なんという矛盾。美しさというのは、矛盾しているものなので。そしてかつ、それを微妙なバランスで包み込んでいる。
「フジミー。またいつもの妄想モードか? もどってこーい」
 耳につく声で、ハッと意識が現実に戻った。このどうでもいい蝿の羽音みたいな声は、僕に取り憑いた精霊のラッチョだ。姿はない。しかし僕の頭の上辺りから、いつも耳障りな声で話しかけてくるのだ。
「ふ。今の僕はただのフジミではない。詩人フジミだ。ふ、春よ。君は僕を待っている」
「どうした? 春の陽気で脳みそ腐ったのか」
「所詮、人の心の妙が分からない浮幽霊だね。恋する男は詩人なんだよ。ラッチョ君」
「お前の場合はいつも、恋と言うよりも発情期ってかんじだけどな」
 下品なヤツめ。こんなのが自然の具象化だとおもうと、自然が嫌いになる。むしゃくしゃして木の枝を折ってやったりして。たまたま通りかかった憲兵のお兄さんにとても怒られたことがあるなぁ。あの人は分かってないのだ。自然の怖さ、ダメさ、嫌さを……。それなのに僕から罰金とったりして。ああ、考えてたらまた腹が立ってきたぞ。ちょっと僕より背が大きいからって威張りやがって。黄な粉と偽って杉の花粉団子を食わせてやろうか。
「フジミー。もどってこいー」
 ッは! つい熟考していたようだ。僕の貴重な思考を、あんな馬鹿の憲兵の為に遣ったかと思うと、なんて無駄なことをしたのだろうとむなしくなる。ナイスだラッチョ。
「最近、ボーっとしていることが多いなぁ、お前。恋って奴はそれほどかい」
 うるさい。シルクさんを考える時間と、あの憲兵のことを考えてる時間を一緒にするな。
 手もとを見るといつの間にか明日の準備は終わっていた。さすが僕。考え事をしながらでも違うことが出来るのだ。明日の準備をしていることを忘れていたくらいだ。ランプを消して、そろそろ寝ることにしよう。

 この宿では、エルレーアの街の人間から依頼を募り、それを解決してくれる人間を紹介する。例えば僕は解決のために紹介された人間であり、目の前にいる隻眼の男は依頼をした人間だ。
「小さいのが来たな」
 殴るぞ。顔まで手が届かないから、股間とかを。
「トマサーテさん。フジミちゃんは背のこと気にしてるんですから」
 シルクさんが言ってくれた。僕のことを気遣ってくれているのだ。もしかして両想い……? とかちょっとくらい期待しちゃってもいいよね。
「もちろん知ってて言っているんだ」
 この男……。彼はこの店の常連で、僕も何度か依頼を受けている。そのたびに嫌味だとかを言ってくるのだ。あれですか? 好きな子には意地悪したくなる、みたいな? 僕に恋しても無駄だぜ。
 トマサーテはシルクさんに案内された席に座り、ピラフを注文した。僕はアップルジュースとパンとハムを頼む。
「さて、今日調査に行く場所は、南門から馬で七時間ほどの場所にある遺跡だ」
「そんな近くに遺跡なんてあったっけ」
 このエルレーアの周辺には、特に遺跡などはなかった気がする。東北に竜の住む大山脈があったりはするけど。南というと二日ほどの距離にお城があるので、道中もそこそこ民家や畑があったりするはずだ。
「ある。もう二百年以上も昔の話だが、当時の王が密かに奴隷を使いとある施設を作った。その遺跡がこれだ」
「とある施設?」
「当時はいまよりも戦争が激しかった時代だ。王はエレメンタルキラー……つまり精霊殺しの武器を作ろうとしたのだ」
「エレメンタルキラーだって!?」
 僕の頭の上でラッチョが叫んだ。うるさい。静かに叫んで欲しい。
「そうだ」
 トマサーテは冷静に頷く。彼はもうラッチョの存在になれてしまっているので、見えない空間から馬鹿っぽい声が聞こえても平然としていられるのだ。ちなみにシルクさんの前では喋るなと、ラッチョには硬く命じてある。
「おいおい。精霊ってのは自然の具象化だぞ? 風の精霊を殺せば地域一帯の風がなくなる。火の精霊を殺せば暖気がなくなる。精霊ってのは人間の目に見えないが、そこらへんをうろうろしているんだ。精霊を殺せる道具を持ち歩いているだけで、一帯がいつのまにか死の砂漠になっちまうぜ。三百年前に作られたエレメンタルキラーのせいで、世界から音がなくなった事件を知ってるか?」
「上手く扱えば兵器としてこれ以上のものはない、ということだ。無論、私はそんな運用に興味はないが。しかし、その特殊な仕組みには興味がある」
 トマサーテの右目がきらりーんと光った、かんじがした。眼帯の奥にある左目も光ったかもしれない。この人、時々眼帯の位置が右だったり左だったりするのだ。伊達メガネならぬ伊達眼帯。何でしているのかというと聞くと「かっこいいから」と答えてもらった。僕に言わせるとこの人は馬鹿だ。ときどきシルクさんが、宿にとまる女客と「トマサーテさんって渋くてカッコいいよね」とか話しているけど、目を覚ましてほしい! 他にも店に来る魔獣使いとか、士官学校の副教官長とかのこともカッコいいって言ってるけど、男は背とか顔じゃないんだ!
「フジミー。おっさんの話、聞いてるかー?」
 ラッチョに声を掛けられてはっと我に返った。ごほんごほん。
「聞いてる聞いてる。エレメンタルトマトを探しにいくんだよね」
「エレメンタルキラー」
「それそれ」
 ボーっとしていたことをなんとか上手くごまかした。ごほんとトマサーテが咳をする。
「君には遺跡につくまでの護衛と、遺跡内での助手をしてもらう。いつも通りのことだな」
「うんうん。さっさとご飯を食べて出かけちゃおう」
 言うと丁度、シルクさんが注文を運んできた。

 牧場から二頭の馬を借り、トマサーテと僕は街を出た。食料の類や、遺跡内での作業道具などを馬に乗せると、相当な量になる。僕が彼によく雇われる理由に、たぶん僕の体が小さいというのがあるだろう。魔法が使えるとか、器用とかの理由もあるだろうけど。
 悲しいことに僕の身長も体重も、成人の半分くらいしかない。その分、馬に多くの道具を乗せることができるのだ。自慢じゃないが僕は乗馬の腕もなかなかあるしね。僕のクソオヤジに散々仕込まれたのだ。そういえば昔、弟と二人で荒野に放り出されたことがある。野生の馬を捕まえて乗りこなして荒野から見事僕達は街に戻れたのだ。野生の馬を捕まえるのに四日、暴れる馬を大人しくさせるの五日かかった。今思うと、普通に歩いて街を目指した方が良かった気がするが。
 道中、三度だけ休憩を挟み馬を走らせ続けた。半分以上の道のりが整備された公道だとはいえ、このペースで馬を使ってたら確実に馬をつぶしてしまうだろうなあ。
 途中からはほとんど登山みたいなかんじで、森の中を歩く。
「あれだ」
 とトマサーテが指差す場所には、ぼろぼろの掘っ立て小屋があった。
「文献をあさってようやく見つけた場所だ。ここを見つけたときに中には入っていないが、もしかするとまだ中の防衛機能が生きている可能性もある。気をつけろ」
 防衛機能とは……。兵士などを何らかの事情によって使えない場合、街の防衛などに魔術師に作らせたゴーレムと呼ばれる自動人形などを置くことがある。一体一体が高価だし、命令に融通も利かないために、使われることはあまりないけど。捨てた研究所に高価なゴーレムを残すかなあ。
「不思議そうな顔をしているな」
 言いながらトマサーテは小屋の外にあるかまどに火を入れた。最近作られた感じの石のかまどだ。多分、彼が前ここに来たときに作ったのだろう。火をつける手際も良くて、まあさすが冒険好きと言う感じだ。
「調べたのだが、ここが破棄された理由がよく分からない。過去に戦争でエレメンタルキラーのようなものが使われた記録がないから、研究は完成しなかったのか、完成していても何らかの理由で使われなかったのだろう。だが、どちらにしてもこの研究所は捨てる理由にはならないだろう?」
「そうだね。完成してないならもっと研究を進めなきゃいけないし、完成していたとしても管理やメンテナンスなんかに今まで使っていた研究所は必要だろうし」
 僕は意見を延べた。その通りと言うニュアンスで、にやりとトマサーテが笑う。
「でもさ。完成の見込みがないってわかったから研究を止めたって言うこともあるんじゃない?」
「精霊殺しなんて物騒なモン、ないほうがいいしな」
 ラッチョは道中、ずっとこの依頼に乗り気がしない感じだった。僕としては遺跡の調査中、なんかの事故でエレメンタルキラーがラッチョをご臨終させる、なんてことがないか期待しているのだけど。
「この研究所は、エレメンタルキラー極秘計画が立ってから二十年間近く使われていた。研究の最後には、計画を知っていた城の人間もほとんどこの研究所のことを忘れていただろうな」
 トマサーテが近くの川で捕まえた魚を焼く。
「そんなわけでこの研究所からある日、急に連絡が途絶えてしまってもほとんどだれも気にせず、そしてこの研究所は破棄されたというわけだ」
「急に連絡が途絶えた?」
「文字通りさ。手に入れた非公式記録によると、一部の人間のもとには定期的に経過報告がきていたようなんだ。しかしそれが、ある時期をさかいにぴたりととまる」
 そんな記録どっから手に入れるんだ、このおっさんは。
「その時期に何かあったの? エレメンタルキラーが暴走してあたり一面が砂漠になったとかなら、ちょっとした三流小説にありそうな話だけど」
 しかしまあ、辺りを見回しても一面がうっそうとした森なワケだが。百年や二百年でこの森は育たないだろう。
「いや、なにもないよ」
 うーんわからない。唐突にトマサーテがしはじめたこの話が、どうして防衛機能うんぬんに繋がるんだろう。
「ただその時期、とある邪神教の信者が活発でな。エルレーアの街あたりにも奴らの秘密工場があったんだ。そこでは麻薬類の生成とともに、ゴーレムの製造も密かに行われていた」
 ああ、それなら聞いたことある。そのゴーレムが暴走して街を荒らしたのだ。そのせいで彼らの秘密工場の場所が分かり、討伐隊がくまれて……なんてことがあったらしい。邪神……えーっとなんとかって奴を崇拝する一団で、結構厄介な奴らだったとか。いまだに隠れ信者がいるとかいないとか。
「エルレーアでゴーレムが暴れた時期と、研究所からの連絡が途絶えた時期がほぼ一致していてな」
「つまり、エルレーアからふらふらーっとやってきた暴走ゴーレムが、研究所の中を荒らした?」
 馬で一日もかかるこの場所に、しかもこんな目立たない場所にゴーレムがやってくるなんてちょっとなさそうだけど。
 トマサーテもそれはないだろうな、と苦笑した。
「偶然が歴史を作ることは確かだ。歴史を勉強していると、偶然によって起きた出来事の多さに驚く。しかし、さすがにそこまで都合のいいは偶然はなかなか起こらないだろうな」
 そしてトマサーテが鞄をごそごそと漁る。ちょっとしたナイフくらいの大きさの牙を取り出した。表面には文字のような模様が刻まれている
「驚くなよ。竜の牙だ。そしてその邪神教の儀式道具でもある」
「うわぁ。おっちゃん邪神教信者だったの」
「んなわけないだろう。これはな、とある家で祖先の遺品の鑑定を頼まれてな。安いイヤリングやら指輪やらガラクタばかりだったんだがな。それに混じって見つけたものだ」
 この人、いろいろなことしてるんだなぁ。遺品鑑定のときも眼帯をしていくんだろうか。怪しい人だなぁ。
「この牙はな、研究所で働いていた幹部の一人のものらしいんだ」
 うーん……つまり。
 エレメンタルキラー研究所の幹部に邪神教信者がいた。当時、この邪神教のつくったゴーレムが暴走する事件が近くの町であった。同時期に研究所からの連絡がぱたりとなくなった。
「もぐりこんでいた邪神教の人間が、ゴーレムを研究所の中に持ってきて起動した。そして暴走。研究所の人間惨殺。っていうかんじ?」
「と、いうことがあったかもしれない。と言う話だがな」
 うわーいきたくねえ。
 ゴーレムには『命令された場所から離れない』という性質がある。暴走したゴーレムがこれを遵守するかは分からないが、まだ研究所内をうろついているという可能性も考えられる。大気中にある魔素を動力源にする仕組みのゴーレムを作れば、体が磨耗や風化してしまわない限り半永久的に活動できるし。
「ちなみに、そのときエルレーアで暴走したゴーレムってどんな奴らだったの?」
 もしかしたらこれから出会う奴について、すこしでも知って置けるならそれに越したことはない。
「まあおそらく気がついているかもしれないが、半永久稼動タイプのゴーレムだ。このタイプは昔から暴走しやすいと知られているしな」
「たしか余剰に取り込みすぎた魔素が、予想外の影響をゴーレムにあたえるんだよね。いまですら魔素はよく分かってないことも多いしね。それと二百年前だし、今みたいな二足歩行型じゃなくて、車輪なのかな。武器とかは持ってるの?」
 僕の発言に、トマサーテは驚いたようだった。
「ほう、魔素なんて言葉だけじゃなく、そこまでいろいろ知っているのか。さすがだな」
 クソオヤジに色々叩き込まれましたので。僕の弟なんて、勉強のさせられすぎで本を見ると恐怖で発疹しちゃうなんてことが一時期あったのだ。
「言うとおり車輪型だ。歩行型に比べて地形の変化への対応が悪いが、その分整えられた地面上での機動力は高い。エルレーアの事件では槍やボーガンを持ったゴーレムが暴走していたが……研究所のなかでは室内用に変えられているだろうなあ。おそらく剣を持っているだろう。体は木製だったが、表面を焼いて硬くしてあったそうだ。ただしエルレーアの事件では数体、ミスリル銀製の体のゴーレムもいたらしいな」
「うげえ」
 どうしてこのおっさんの持ってくる『発掘』は、こういう厄介なものばかりなんだろうか。呪われた剣とか、竜の巣の奥に行くとか、下水道の探索だったはずなのに凶暴な魔法生物に囲まれたりだとか。
「それとゴーレムとは別に、地下には惨殺された研究員たちの怨霊がいる可能性もある」
「ああ……邪神の術には、死んだ人間をゾンビ化するなんていうのもあるらしいね」
「よく知ってるな」
 っていうか、こういう話は店を出る前にして欲しかった。早速僕は帰りたくなってきてるぞ。
「フジミ、お前怖くてしょんべんちびりそうなんだろ」
 ラッチョはうるさい。
 っていうか、暴走ゴーレムに邪神さん特製ゾンビだよ? なんでこのおっさんは僕一人しか雇わないわけ? ケチにもほどがある。馬に荷物を多く載せられるからとか、そんな理由で僕を雇うおっさんだ。ケチめ。ケチケチめ。っていうかおっさんいつの間に魚食べ終わったんだか知らないけど、僕の分はどうした。

 もう一回川に行って、魚を捕まえて焼いて食べて、馬の世話をして、小屋の周りの草を抜いて、寝る準備をして、そういえば読み終わってない本があったなぁとか考えて、シルクさんは元気だろうかとお日様に聞いてみて、
「さっさとしろ」
 トマサーテに言われた。
「だって行きたくないんだもん」
「ぐずぐずしてると日が落ちる」
 彼は躊躇なく小屋の中に入る。ドアを開けた瞬間なんだかいやーな空気が流れたような気がする。たぶん僕の気のせいだけど。
 小屋の中は暗くて、狭い。ランプなんかがあるけど壊れていたりして、たいした物は置いてない。
「なんもねえなぁ」
 ラッチョも僕と同じことを思ったみたいだ。しかし、見て分かることをわざわざ口にする必要などない。暑い日に「暑いなあ」といわれても、どうしようもないのと同じだ。
 トマサーテは黙って屈むと、床板の一部を持ち上げた。隠し扉だ。そして、その下からはもちろん隠し階段がでてきた。隠し部屋だ。さっそく隠し物オンパレードで、もしかしたら隠しトイレや隠しトイレットペーパーとかもあるかもしれない。
「えっと……本当に降りるの?」
「もちろんだ。下り階段を登ることはできない」
 そういうことが言いたいんじゃない。
 もって来たランプをつける。僕の腰には背にあわせた小振りの剣をつけてあるが、ゴーレムやゾンビ相手に役立つかは不明だ。
 深呼吸をして、階段を下りる。足音を出来るだけ鳴らさないように歩くのは、僕の癖だ。後ろでどかどかとトマサーテが床を踏み鳴らして歩くので、まったく意味が無い。
「すげえなーフジミ。なんだか幽霊っぽい気配がめちゃくちゃあるぜここ」
 ラッチョがわめくから、さらに意味が無い。帰っていいですか。
 階段をおりきると、ラッチョの言うとおり確かにただならぬ気配がした。妙に寒気がするというか、背筋がぞわぞわする。埃くさい匂い、淀んだ空気、僕ら以外の物音はしない。ゴーレムもゾンビもたんなる想像なんじゃないかと思い始めた。しかしラッチョが僕の想像の産物なんじゃないか、だったらいいな、むしろそうなれと時々思うのと同様、僕がどう思うのかと現実がどうあるのかはあまり関係がない。
 上の掘っ立て小屋とは違い、煉瓦で壁を組んだしっかりとしたつくりだ。天井付近になにかが等間隔についている。光を近づけるとは照明ランプがついているようだった。トマサーテが調べ「魔素をつかって光る仕組みだな。もうほとんど壊れているが」と分析した。しばらく階段を下りたところにある妙な機械をいじっては見たのだが、特に照明がついたりはしなさそうだ。
「暗いままかあ。やだね」
 ランプを持つので、片手が塞がってしまう。仕方ないが、よくない感じだ。
「ああ。必要なところにまでまっすぐ行って、すぐに引き返そう」
「研究所内の地図とかわかるの?」
「わからん。しかし大抵、一番奥が一番重要なんじゃないか?」
「僕にとっては、僕の命が一番重要だね」
 本当の一番目はシルクさんだけど、それは僕だけの秘密だ。
 僕の持つランプが、頼り下ない光でレンガ造りの回廊を先まで照らす。かすかに、かすかにだが風の動いているような音がした。トマサーテもそれに気がついたのだろう。持っていたランプをつけて先を照らす。じっとしばらく回廊の向うを睨む。何も無い。気のせいだったろうか。
「慎重に行こうか」
 トマサーテが囁くように言った。僕は頷いて答える。歩き出したとき、トマサーテの足音は僕と同じように、ほとんど聞こえないくらいに消えていた。最初からそうしろよ、っておもった。

 煉瓦の回廊は長かった。時々左右へと分かれる十字路に差し掛かったりなどしたが、その都度「右はどこどこ、左はどこどこ」という案内板がついていたので困らなかった。或いは、案内板が無ければ施設の人間にとって困るくらいに、この研究所は広いということかもしれない。そうだったら困るなあ。案内板があると困らないけど、困る。矛盾だ。矛盾してるけど美しくは無いな。とか、暗くて静かな場所を延々と歩いていると、余計なことを考えてしまう。
「何か面白いこととか言ってよ」
 ちょっと寂しくなって、トマサーテに言った。返事が何も返ってこないので余計寂しくなった。彼は僕を苛立たせたり、悲しませたり。そういう使命を帯びてこの世界に生まれてきたのかもしれない。そう思うとトマサーテが哀れに思えてきて、僕はちょっと愉快になった。
 道は奥に向けて緩やかに傾いていて、斜面というのはたとえ角度がたいしたことが無くても、下るように歩くのは結構疲れる。僕の経験的に、平らな道よりも、すこしだけ微かに角度のついた上り坂の方が、歩いていて疲れないような気がする。
 しばらく歩いたところで、分かれ道の向うからカタカタと言う感じの音が聞こえたような気がした。トマサーテと顔を合わせる。
「どうする」
 お互いに顔を近づけて、声が漏れないようにこそこそと話した。
「もし敵意のある奴とかだったら、厄介だと思う。進んでいるときに後ろから襲われたりしないように、さっさと叩いちゃうのも手だと思うけど」
 ゾンビやゴーレムが、トマサーテの過ぎた想像の産物だったとしても。たとえばどこからか入り込んだ獣だったり、巨大な虫だったりすることもあるだろう。
「そうだな。様子を見るくらいはしたほうがいいか」
「ラッチョ、騒いだりするなよ」
「あいあい」
 カタカタと、分岐した回廊の奥でまた音がした。
 僕達は忍び足でそっとその道を進む。明りを消すわけには行かないし、足音を消そうが消すまいが意味が無いかもしれないが、こういうのは気分の問題だ。
 ゆっくりと進むごとに、かすかな音がはっきりと確かなものになってくる。
 ランプの光に、銀色の大きな壁が写った。音は、それから出ているような気がする。光の照らす場所を上げると、全身鎧の顔の部分っぽいものが照らされた。あははー重量感のある鎧があるねぇ。なにこの銀色な感じ? 名金属のミスリルさんですか? もって帰ったらおかねもちだー
 カタカタ、カタカタ。
『ダレ』
 鎧から声がした。
 有無を言わず、僕達はもと来た道を逃げ出した。ラッチョが叫ぶ。
「フジミ、突き当りを右だ!」
「分かってるよ!」
 道を右にまがって全力で走る。
「おい、どこ行く。出口は左だぞ!」
 後ろから追いかけてきたトマサーテの声がした。
 え、と振り向くと、出てきた横道の向こう側をトマサーテっぽい人影とランプの光が走っている。そしてその横道から銀色の鎧がカタカタと音を立ててぬっとあらわれた。僕は慌ててランプの光を消す。ゴーレムは少しだけ考え込むようにとまったが、ゆっくりとトマサーテのほうに体全体を向けた。トマサーテのランプの光のおかげで、影の輪郭としてゴーレムの全体が見えた。鎧のようになっているのは上半身だけで、下半身は馬車の車輪のようなものになっている。二百年の歳月のおかげで、車輪に埃でもたまっているのだろうか。動きは意外と遅い。カタカタと音を立ててトマサーテのほうに鎧が動いていく。
「ラッチョのくそ精霊。なにが右だよ」
「お前こそ変なところで姑息に頭が回るな。咄嗟にランプを消しておっさんのほうにゴーレムを仕向けるたあ、悪いがきだ」
 真っ暗闇の中、こそこそと悪態を交わす。どうしようか。出口に向かうにはあのゴーレムを追い越さなければいけないわけだし……うむ。かといって遺跡の奥に進むのもなあ。ゴーレムが一体しかいないとは限らないわけで。ラッチョのせいでどうにもならない状況に陥ってしまった。暗くて方向感覚の鈍くなる状況であんな自信たっぷりに言われたら信じてしまうだろう、この疫病神め。今回のことも、シルクさんに子ども扱いされるのも、悪いことは大抵こいつのせいだ。
 はあ……溜息が出た。この場所にずっと留まっているというのも僕の性に合わない。
「ちょっとだけ奥に行ってみようか」
 手探りで壁を探した。冷たい煉瓦の感触にぶつかる。冷たいミスリルの感触とかにぶつかってたら僕の体も冷たくなりそうだなと思いながら、壁を伝って遺跡の奥へと歩いた。
「……ちょっとだけ奥に来たぞ」
 五歩ほど歩いたときにラッチョが言った。だけどそういう意味ではない。
 ラッチョを無視して黙々と歩く。壁につかまっているとはいえ、真っ暗闇の中を歩くというのはなかなか難しい。足元がふわふわしているような、そんなおぼつかなさ。多分、普段の歩速の半分くらいなんじゃないだろうか。ゴーレムも、トマサーテを追いかけて遠くにいっただろう。例のカタカタと言う音が聞こえないのを確かめて、意識を集中させる。光を発生させる初等魔法くらいなら、天才的なフジミ君は使えるのだ。魔法は少々疲れるが、一人になってまでランプを使うのは危ない。両手を自由にしたくて、ランプは背中の荷物入れに仕舞った。魔法を発動させるとほわっと、僕の目の前に宙に浮かぶ光る玉が生まれた。ある程度は僕の意思で動かせる。
 後ろを見て、トマサーテのランプが見えないことから気がついたのだが、ずっと直線だと思っていたこの道は、気がつかないくらいに微かに曲がっているらしい。奥に行くほどゆるやかに下に傾いてい粉とも加味すると、つまり僕は円を描くようにどんどん地下にもぐっているわけだ。
 はあ……また溜息がでた。地上に無事出られるかなぁ。
 まっすぐ歩くのにも飽きて、途中にまたあった横道に入る。少し歩くと左右に三つずつドアがある回廊になった。一つの部屋をのぞいてみたが、どうやら個室のような感じだ。だれかが使ったまま二百年間ほっとかれたベッドに、筆記用具が散在した机。シーツや壁に黒ずんだ部分があり、たぶん血の跡だろう。相当出血したのではないか。
 本棚には本が入っている。本の中身を見ようと手に取ろうとするが、カビのせいで紙がぼろぼろだ。無理に扱えば簡単にゴミクズになってしまうだろう。触るのを諦めた。
 部屋を出てさらに横道の奥に行くと、両開きのドアがあった。開くと……
「なんだ、これ」
 ドアから数歩先には床も何も無い。天井もない。上から下へと大きな空洞になっていた。
「もしかしたら、研究所が生きている頃は、この大穴を使って上のほうから下に移動していたのかもしれないな」
 ラッチョが珍しく真面目なことを言う。なるほど、先ほどのゴーレムがいた奥のほうにも、この空洞があるのかもしれない。空を飛ぶ高等魔術か、あるいは上から鎖をたらして立ち台を上下させる仕組みか。ともかくそんなものがあったのだろう。
「つまりここを落ちれば、一気に最下層までつくってことかな」
 思いついて、部屋の一つから適当な重さのゴミを持ってきて穴に落としてみた。暗闇でしたがどうなっているかは分からないが、すぐに「こつん」と音がする。上から下へと、空洞全体に音が反響した。おそらくそんなに深くは無い。なだらかなスロープが作る深さだからなあ。多分全部で四階か五階くらいしかないんじゃないだろうか。
 光の玉をそうさして、穴の下に移動させる。一階よりすこし深いくらいの高さだ。あの長い道をだらだら歩くよりも、ここを飛び降りる方が早い。ぴょんと飛び降りた。どすんと着地とともに足場がなり、もうもうと埃が舞い上がる。目がしぱしぱするー。
 最深階はちょっとした噴水広場くらいの広さはあるような場所だった。光の玉では部屋の端がぼんやりとしか照らされない。てくてくと部屋の端にあるいて、廊下へ続く道を探した。時間を掛けて一周した所、少しだけ上り坂になっている回廊と、その対極に位置する少しだけ下り坂になる回廊の入り口を見つけた。おそらく前者が地上の出口へと続く道。後者がさらに深部のエレメンタルキラーがある場所へと続くのだろうほかにもよく分からないものの入った木箱が積み上げられていたりしたけど。まあきっと実験とかにつかうなにかだろう。二百年もたったら大抵のものは風化してゴミになってるだろうけど。嬉しいことに、ゴーレムやらゾンビやらは、影も形も無い。僕の影だけが、床にぼんやりと映っていた。
「なあフジミ。不思議じゃないか?」
「ん?」
「トマサーテのおっさんの話じゃ、この研究所はゴーレムに研究員を惨殺されたかもしれないってことじゃないか。実際にゴーレムはいたし、な」
「そうだね……あっ」
 僕も気がついた。この研究所には、その話に反して死体がない。さっきの部屋だって、血の跡があったのに死体がない。ゾンビのように死体が動き出すのならば、あの部屋に死体がないのにも納得するのだが……いまのところゾンビがいそうな気配は無いのだ。死体なんて見つけても寒々しいだけだけど、あるべきものが無いというのはそれはそれで気持ち悪い。
 地下に降りる通路を覗き込み、耳を済ませてみた。なにか物音……がしたりはしない。
「もうちょっと坂の下へ進んでみようか」
「また少し歩いたら、ちょっと進んだって言おうか?」
「いらない」
 てくてくと奥に進む。すぐにまた両開きのドアがあった。取っ手を引っ張ろうとしたが、開かない。もちろん『じつは押す扉でしたー』ってこともない。鍵でもかかっているんだろうか。鍵穴をのぞくと、何かが詰まっていた。針金でつつくと硬い感触。もしかしたら誰かが鍵を閉めて、さらに鍵穴を溶接したのかもしれない。この扉は封じられているのだ。
「エレメンタルキラーがあるとするとこの奥なんだけどなあ」
「やめとけよ。もしかしたらここが破棄された理由だって、エレメンタルキラーの暴走が原因かもしれねえだろう。研究員はここを封鎖して逃げた、とかな。だとしたらここをあけるのは危険だぜ?」
 確かに、トマサーテの邪神教信者とゴーレム説は、単なる仮説だし。ラッチョの言うとおり、この研究所が破棄された原因はエレメンタルキラーの暴走かもしれない。死体が無い理由だって、研究員が逃げたのだという理由をつければ、納得できる。
「でもそうすると、さっきの部屋の血とか説明がつかないよ」
「それもそうだなあ」
 ラッチョと僕は、うーんと首をかしげて扉の前で考える。ラッチョの姿は見えないけど、なんとなく傾げてるんじゃないかと僕は感じたりするのだ。
 カタカタ。
 微かに音がした。……様な気がするけど、気のせいだな、うん。
 カタカタ。カタカタ。
「フジミ」
 ラッチョが僕の名を呼びきる前に、僕は地面を蹴って坂を上った。先ほどの広場に飛び出ると、光の玉をもう二つ作って、広場全体を照らす。
 カタカタと音を立てて、もう一方の薄暗い入り口から広間に、銀色の鎧と車輪のゴーレムが入ってきた。
「トマサーテを追いかけてたくせに、こっちに来るのが早い! もしかしてもう一体いたか」
 僕は叫びながら、光の玉を一つゴーレムの方に移動させる。銀色の体がはっきりと映し出された。明るくしたせいで細部まで観察が出来る。腰に長めの剣を三振り。なんですかその重装備は。僕なんてちっちゃい剣を一つだけ持ってるくらいだよ? 攻撃するための魔法ももってはいるが……あの鎧の輝きはたぶんきっとミスリル銀。魔法の効きは悪い。剣で打ち合ったら、道具の性能で負けるだろう。魔法をつかっても効きそうにない。フジミ君大ピンチだ。
「ふと思ったんだが。アイツ車輪だろう?」
 ラッチョが呟く。
「トマサーテを追いかけるときは、上り坂だからゆっくりになるけど。引き返してこっちに来る場合は、車輪が勢いよく転がってくるのが早くなるよな」
 気がつかなかったー!
「卑怯だ! 引っ掛けだ! ぺてんだ!」
 僕のそばに浮いている二つの光の玉を消滅させる。今は広間全体の状況よりも、アイツの居場所さえ分かればいい。ゴーレムのそばに光源があれば、僕にとってはあいつを見つけやすく、逆にあいつにとっては暗闇の中にいる僕を見つけにくい……かもしれない。人間相手だったら有効な戦法なんだけど、ゴーレムの視覚がどんな仕組みになってるかなんてよく知らないし。
 逃げるしか手はなさそうだが……僕の手持ちのカードは、そこそこの剣術と、そこそこの魔術。それからラッチョの力を借りた精霊術だけど……こういう建物の中では、風や土なんかがないから精霊がいない。その場所の精霊の力を借りる精霊術を使えないのだ。うむむ、僕が持っているほかの手持ちの札は、カッコいいとか、物知りだとか、ポーカーが強いとか、お肉が好きとか、そんな特徴くらい。あまり今は役立ちそうに無いぞ。
 カタカタと車輪が煉瓦とぶつかる音をさせて、ゴーレムが近づいてくる。
 ええっと、周囲の魔素を動力源にしたゴーレムだから、その魔素を枯欠させてしまえば動かなくなるわけで。例えば大魔法を使って魔素を急激に大量に消費させればこのゴーレムは動かなくなるわけだ。問題は僕には大魔法を使う技術も知識も無いってことで。この案はパス。
『ゾンビ……マダ居タカ』
 ゴーレムが何か言って、カタカタカタと床を鳴らして近づいてくる。怖いよー!
 僕は円を描くようにゴーレムと間合いをとって、向うの入り口に近づこうとするが。ゴーレムも巧みな間合いの取り方で、僕に入り口までの道をゆずってくれない。長剣を腰の鞘から一本引き抜き、牽制するのように僕の方へと切り先を向ける。
 僕は集中する。武器の間合いでは相手のほうに分がある。しかし、動きの柔軟性や機敏性なら多分僕の方が上だ。ゴーレムから目をそらし、光の玉をカッと輝かせた。ゴーレムの動きが止まる。僕も自分の剣を引き抜きながら、ゴーレムの真横に走った。ゴーレムの横、車輪にへばりつく。
「こっちだうすのろ!」
 僕の声に反応して、ゴーレムが剣を持った腕を振り下ろした。しかし、そこに僕はもういない。車輪を梯子代わりに駆け上がり、ゴーレムの肩の部分まで登る。鎧状の外見であるゴーレムだ。大きく体を動かせば、鎧のどこかに隙間が出来る。その隙間をふさいでしまえば、元の姿勢に戻ることは出来ない。
 剣の切り裂きを、斜めに突き刺すように肩にできた隙間にねじ込んだ。ガツンと硬い感触がして、剣が根元まで埋まる。金属音が広間のあっちこっちを反響してうるさいな。人間なら心臓を剣が貫いていたに違いない角度。動きに制限をつけられれば、僕がこいつから逃げられる可能性も上がるっていう寸法だ。
『コノ動キ、人間……! アロースノ……仲間カ』
 ゴーレムがなんか言ってる。負け惜しみ、とかではないっぽいな。
「なんだようるさいな! 言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「わりとはっきり言ってると思うけどな」
「第一、二百年前のゴーレムの癖に喋るとか、なんだよその高性能」
『ゴーレム、デハナイ。私ハドチラカト言エバ、ソウダナ……りびんぐあーまート言ウ奴サ』
 リビングアーマー? 鎧に怨霊が乗り移って動き出したりする奴をそんな風に呼ぶが。なんか話が出きるっぽいし、ここは話し合いでなんとかできるかもしれない。
 ぴょんとゴーレムから飛び降りて、距離をとり、
「えっと、僕はちょっとここに無理やり連れ込まれただけなんですなんです。もう一人男がいたでしょう。あいつに……!」
「いきなり嘘だな」
 うるさい。まあアイツに聞こえないようにボソリと言ってくれたから良しとしよう。とっさに嘘をつくのが上手いというのも僕の持ち札の一つだ。それに無理やり連れ込まれたというのはあながち嘘ともいえない、と言う僕の主観的見解。
『ソレニシテハ、今ノ動キ。只者デハナイ』
「えーん。無我夢中でよくわかなかったよー」
『ソウカ……怖ガラセテ悪カッタナ』
 いきなり信じた! こんなにあっさり信じられても、なんか罪悪感が。
「うん。こわかったよー、えーん」
 罪悪感があるけど、でも続ける僕って可愛いな。

 私の名は、カナタンという。剣を自分で引き抜いて、ゴーレムはそんな話をした。……自分で剣を引き抜けるのか。かなり可動域が広いなあ。それに、剣を深く突き刺したわりに、なんの影響もでてないみたい。話し合いで解決策を選んでよかった。
『モウ大昔ノ話ダ。私ハソノ頃、国ノ密命デコノ研究所ニ勤メテイタ』
 敵意はないっぽいので、魔法の代わりにランプを照明にして床に置いた。カナタンさんの隣に僕はちょこんと座る。
 驚いたことに、こんな仰々しい図体をしているくせに、カナタンさんはかつて女性だったらしい。僕は紳士なので、女性にはフレンドリーだ。
 彼女はある日、上司が何か悪巧みを計画していることを知った。なんでもエレメンタルキラーを作るための魔法陣を密かに組み替えて、邪神復活を企てたのだ。精霊を殺しまくるエレメンタルキラーと、邪神と言うのは確かに似通ったものがあるし、ちょっといじくればそんなことができるのかもしれない。
 カナタンさんはそれを止めようと、そいつが連れてきたゴーレムを自分の支配下に置いた。ここらへんはあっさりといわれたが、そういうことが出来るって言うことはかなり優秀な人間だったんだろうなあ。一度書いた命令を、書き直すって言うのはかなり難しいはずだ。そんなことが簡単に出来ちゃったら、ゴーレムとか役立たずだしね。
 結局、儀式は失敗して、魔法陣は暴走する。その効果によって、研究所内にいる人間はカナタンさんを残して全てゾンビ化した。魂と肉体が汚染されたのだ、とカナタンさんは語る。
『私ハ……ドウイウ仕組ミナノカ分カラナイガ。ゴーレムニ、魂ガ入リ込ミ、コウナッテシマッタノダ』
 多分、ゴーレムとの契約とかが変な効果を生み出したんだろうなあ。もともと暴走しやい半永久稼動式ゴーレムだし、そもそもいかがわしい邪神教の人間が作ったりと、ワケのわかんない存在だ。そんなこともあるだろう。僕の仮説だけども、空中の魔素を吸収するシステムが、体から乖離しかけた彼女の魂を拾ったのかもしれない。エレメンタルキラーっぽい力よって大気中の精霊力が一掃されて、変わりのエネルギー源をもとめたゴーレムが、近くにいた彼女の魂を吸い取った。とかも考えられそうだし。まあここら辺は想像だ。特殊な条件が色々そろうことで、こんなへんなことが起こったんだろうな。たぶん。
 ゴーレムとなった彼女は、この施設にあふれるゾンビをどうにかしようと、一番奥の扉の中に閉じ込めたそうだ。ゾンビと言っても頭や心臓を壊せば殺すことは出来るけど……まあ生前の彼らと知り合いだった彼女にそれを求めるのは無茶と言うものだろう。
 僕は先ほどの封印された扉を思い出した。あの中にはゾンビが詰まっていたのか。無理やり開けたりしなくて良かったなぁ。
 話を終えたカナタンさんが、カタカタと車輪を鳴らして僕の方を向いた。
『ゾンビガ、大地ヘト溢レナイ様ニ、ズット私ハココニイタ。シカシ……二百年ノ月日ハ長スギタ。ナア、フジミ』
「なんですか?」
 女性には礼儀ただしくが僕のモットーだ。
『私ヲ殺シテクレナイカ』
 ああ、多分そう言われるだろうな。そんな気がしていた。
 こんな暗闇の中、二百年も一人でいて。しかも自分はもう人間ではない。それはちょっとした、地獄なのではないだろうか。
『奥ノ扉ノ向ウニ、ゴーレム停止装置ガアル。ソレヲ作動サセレバ……』
「外に出て気持ちを新しく生きてみるというのはどうですか? 二百年たって世界もそれなりに、」
 剣が鞘から抜かれる音がした。僕が反応するよりも早く、カナタンさんの抜いた長剣が僕の鼻先に突きつけられる。
『ゴメンナサイ。嫌ナ事ヲ押シ付ケテ。君ハ、ヤリタガラナイカモ知レナイ。デモ、ドウシテモ』
「そこまでですか……」
 こんな子供を脅してでも、死にたがっている。僕は彼女を哀れに思った。
「わかりました。やります」
 決して脅されているから出た言葉でない、ということにしておいて欲しい。
『アリガトウ』
 剣がすっと、鞘に収められた。
『コノ、ゴーレムニ書カレタ制約ノセイデ、私ハ奥ノ部屋ニ入ハイル事ガ出来ナイ。コノ建物ヲ不当ニ壊ス事モデキナイ』
 なるほど。だから彼女は奥の部屋に入って、自分で装置を動かすことが出来ないのか。
「壊すことも出来ないんですか? あの扉は鍵がかかっていて、しかも鍵穴が溶接されてる」
『アア。ゾンビドモヲ閉ジ込メテ、私ガヤッタ』
 なるほど。丈夫で、頭が良くて、器用なゴーレム。最強な気がする。
「僕、ちょっとくらいなら鍵を針金で開けたりすることは出来るけど……ああなってちゃ。扉もかなり頑丈そうでしたし、僕の力じゃちょっと壊せそうに無いな」
『不当ニ建物内ヲ壊ス事ハデキナイ。シカシ、例エバ侵入者ヲ攻撃シテ、外レタ攻撃ガ扉ニ当タリ、ソノ結果壊レルコトモアルワケダ』
 あー、なるほど。書き込まれた規則通りに従わなくちゃいけないけど、規則に従うのならある程度ごまかして動けるわけだ。知能のないゴーレムにはこんな発想は出来ないだろう。中身が人間だからこそ出来るごまかしだ。
「でもそれって、僕を攻撃するってことですよね……」
『ソウダ』
 断言されたよ。
『アノ扉ハ頑強ダカラ、ちからイッパイ壊スツモリデヤル。君ラナヨケラレル。多分』
 なに、多分って。
『先程ノ動キハ見事ダッタ。私ハ制約ガアル為ニ、君ニ当テルツモリデ攻撃スル。避テクレ。ガンバレ』
 うわー。やる気がなくなってきた。でも逃げようとしたら、この人は本当に殺すつもりで追いかけてきそうだしな。
 僕は頷いて、広場から下り坂の回路を進むと扉の前に立つ。
『行クゾ。避ケタラスグコッチニ来ルンダ。ゾンビガ中ニテ、襲ッテクルカモシレナイ』
 心配してくれるのはとても嬉しいけど。ううん、これから全力で攻撃されると思うと……
 僕は、扉の前に立ち、カナタンさんと相対すると頷いた。彼女もそれを準備が出来たという合図だとわかってくれたらしい。無言で長剣を抜き、腰にためるように構える。切り裂きがこちらに向けられた。人間の魂がこもっているからだろう。剣気というか、殺気というか。殺すと言う確かな意思が、剣の切り先とともに僕に向けられた。心を持たないただのゴーレムからでは感じることのない、ぞわぞわした恐怖を感じる。僕を殺すつもりで攻撃しないとダメなんだから仕方ないよね。
『殺ス』
 そこまでして、気分を盛り上げなくても。
 彼女の、背筋のよだつ言霊と同時に車輪が震えた。今まで見たことの無い速さで、ゴーレムの巨体が坂を滑り落ちてくる。向けられた剣は、巨大なハンマーか何かに見えた。ガタガタガタ! 音を立て煉瓦の回廊が揺れる。
「待って待って! タンマ!」
 あまりの迫力、あまりの威圧感に、僕はすぐさま体をそらす。剣の先が僕を追って軌道を変える。ぴたりと進路を僕の胸に向けていた。
 本当に殺す気だ。
 体が震え、思考が白くなる。時間がゆっくりと流れる。走馬灯が……なんか走らせている場合じゃない! 剣が当たる瞬間、僕は素早く体を伏せて丸くなった。僕の上で長剣が空気を切り裂く。雷のような突きが、煉瓦の壁に当たった。固いもの同士がぶつかる破裂音。薄暗い回廊は、散った火花によって一瞬確かに明るくなった。
 ――まだ次が来るッ!
 ちぢこませた体を、ばねのように使って飛びのいた。剣が溜めも無く振り下ろされて、一瞬前まで僕の居た床を削る。床についた剣を杖のように使い、床を押してゴーレムは後ろに下がった。再び、坂道を利用して勢いをつけた攻撃が来る……! 地の利を知り尽くした確かな動きだ。知能のあるゴーレム何てめちゃくちゃ卑怯な存在じゃないか!
 今度は剣なんて可愛いものじゃなかった。ゴーレムそのものが。ミスリル銀の鎧が、一つの物体として丸々僕に向かって突進してくる。突きじゃない。こいつ体当たりを仕掛けてきやがった!
 狭い回路であの巨体の突進を何処に避ける。右? 左? どっちに逃げても狭すぎて避けきることはできない。
「下!」
 ラッチョが叫んだ。
 僕は反射的に身を屈める。車輪があるという構造上、巨体の下には空間があったのだ。床に張り付く僕の上を、巨体が通り過ぎた。僕のおなかがもうちょっと出ていたら、上を通り過ぎる鉄の塊にこそげ落とされていただろう。スリムな僕に乾杯。勢いに乗ったゴーレムが突き当たりの扉にぶつかり、爆発音のような音を立てる。扉が砕けたのだ。ゴーレムも砕けちまえ。僕は紳士らしくもなくそう思った。
 僕は素早く立ち上がり、ゆるやかな坂を駆け上がった。すぐにゴーレムが凝れないという距離まで着いて後ろを振り返る。扉を突き破り部屋に入ったカナタンさんが、カタカタと車輪を音立てて、廊下に戻ってきた。
『……ン。オヤ。ドウヤラ成功シタヨウダネ』
「何言ってるんですか! 僕今、本当に殺されそうでしたよ」
『アア、スマナイ。我ナガラヤリ過ギタ、ト反省シテイル』
 二百歳になってもまだ反省すること残ってるなんて、人間ってばかね! 馬鹿、馬鹿! 僕は今そんな気分だ。
『フム。ドウヤラ私ハ勢イで、奥ノ部屋ニ突撃シタ様ダネ。部屋ニ居タ間ノ記憶ハ無イガ』
 なるほど。
 たぶん、書き込まれた規則に反した場合強制的に規則を守るような仕組みが働くのだろう。その間、ゴーレムの体は彼女の意思から離れるので、彼女の記憶に残らないのだ。僕の当て推量だが、わりといい線いっていると思う。
 彼女に警戒しつつ(殺されそうになった相手には警戒しちゃうモンなのだ)、傍によって部屋の中を覗いた。死体が転がっている。飛び込んだ彼女に踏み潰された哀れな人……とかではなさそうだ。部屋の中にぽつぽつと散らばるような感じで人が転がっている。
「ゾンビ……なのかな」
『ソノヨウダネ』
 恐る恐る部屋の中に入り、申し訳ないなーと思いつつ、男の死体の一つを剣でつついてみた。
「……動かないな」
『推測ダガ、長イ年月ガタッテ、邪神ノちからモ抜ケキッタノダロウ。ゴーレムノ体ト違ッテ、時間ノ経過ニ弱イカラネ。人ノ体ハ』
 そういうこともあるのか。僕はラッチョのせいで、寿命が十倍になったらしいしなあ。平和に暮らせれば、たとえばゴーレムとかに殺されなければ六百歳とかいきられちゃうわけだけど。正直、とっととラッチョとおさらばして、真っ当な人生を歩みたいわけですが。
 死体は時間が経ちすぎているのだろう。腐臭すらしない。それがかえって、完全に「物」になってしまったようで哀れに思えた。
『左右ノ壁ニ扉ガアルダロウ? 右ノ扉ノ方ニ、ゴーレムノ操作板ガアッタハズダ』
 部屋の手前ぎりぎりの通路から、カナタンが僕に指示する。
「左の扉は?」
『えれめんたるきらーノアル、儀式ニ使ワレタ部屋サ。開ケテ中ニ何ガアルカ分カラナイ。ソッチニハ行カナイ方ガイイ』
「あー。そうだね」
 扉を開けた瞬間にゾンビちゃんになっちゃったりしたら嫌だしね。死体を踏まないように歩いて、右壁の扉を開いた。
 部屋の中に入ると端の壁に粘土でできた板が立てかけてあった。僕の身長くらいある大きな粘土板だ。上部に魔法陣かなにかの模様が書かれてあった。その周囲を呪文のように文字なのか、記号のような配列が刻まれている。どこかで見たような形態の文字だなあ……と思ったら、掘っ立て小屋の前でトマサーテに見せてもらった文字じゃないか。邪神を奉ってた信者が作ったゴーレムだもんな。その制御装置に同じ文字が使われていても不思議じゃない。
 粘土板の真ん中から下のほうに掛けては、小さな文字で文章が刻まれている。残念ながら僕には読むことが出来ない。二百年前に使われていた呪術文字かなにかだろう。魔法をちょっとかじった程度の僕には解読できないだろうなあ。
「なあフジミ。さっきからなんかおかしくないか?」
 ラッチョがぼそぼそと僕に話しかけてきた。いつもこれくらい控えめに喋ってくれれば僕も嬉しいのだが。喋らないでくれればもっと嬉しい。
「ん?」
「あのカナタンって奴。腑に落ちない気がする」
「まあ、ゴーレムになった女の人ってよく考えると怪しいよね」
「そこだ」
 茶化したつもりだったけど、真剣な声でラッチョに頷かれてしまった。
「いくら偶然ったって、ゴーレムに魂が入り込むなんて偶然はいくらなんでも偶然過ぎないか?」
「トマサーテに影響されたの? 『偶然が歴史を作る。でもそこまで都合のいい偶然はなかなか起きない』だっけ」
「そうだ。たまたまゴーレムが一体だけいて、たまたま邪神復活魔法陣が誤動作でそこに魂が乗り移った。そんなの出来すぎている気がする」
「うーん。そんなこといっても、現に彼女はあそこにいるわけだし」
 偶然にしては出来すぎているといっても、その偶然による産物が目の前にいるのだ。奇跡だってたまには起きる、って思ったっていいじゃないか。
「それにな」
 まだあるのか。
「さっきあの女、『ゾンビどもを閉じ込めて』って言ったな。ゾンビどもって」
 覚えてないな。言ってたっけ?
「なんていうかな。その言い方が……お前の言う愛が無い言い方じゃないか? ゾンビって言っても、もとは一緒に働いてた人間たちなんだろう」
「うーん。考えすぎじゃない? そもそも、それが気になって、どうしたのさ」
「や、気になったってだけなんだけどな」
 変なことばっかり気にしてると、はげるぞ。心の中で僕は言った。べつに妖精のラッチョには頭も体も無いわけで、はげようが無いんだけど。
 壁の粘土板を部屋からだそうと引きずる。大きさに見合って結構重い。
「ねー、これでいいの?」
 部屋の外に運び出して、廊下でから見ているカナタンさんに粘土板を見せた。
『ソレダ。ソレヲ壊シテクレ』
 これを壊せば彼女は死んでしまうのか……二百年前の人間だとはいえ、もう半ば人間でなくなってしまったとはいえ。心苦しい。わずかな間だったけど、色々話を聞いたり。作戦を考えたり。それと殺されそうになったり……あんまり心苦しくなくなってきたぞ。
「じゃあ壊すねー」
『頼ム』
 僕は剣を腰から抜くと、思いっきり頭から振りかぶった。
 鉄の塊と、泥の塊。粘土板にぴしりと亀裂が入る。一刀両断できなかったのは、僕が非力とかじゃない! たんに粘土板が分厚くて大きいから丈夫だったってだけだぞ! うん。
 もう二回剣を叩きつけると、粘土板が真っ二つに割れた。二つに砕けた粘土にさらに剣をたたきつけ、足で蹴る。コノ! コノ!
『モウイイゾ』
 すぐ後ろから声がした。驚いて、背筋に震えが走った。振り返ると部屋真ん中にカナタンさんがいた。
「あ、あれ? 生きてる」
『ゴ苦労ダッタ。サッサト帰ッテイイゾ』
 なに、その横柄な言い方。
 むっとする僕を置いて、カナタンさんは左壁の扉にまっすぐ近づく。途中で何体かの死体があったが、彼女は気にせずにその上を通った。特に音も無く、乾いた土くれが砕けるようにあっけなく、死体が車輪に引き裂かれる。
 彼女が扉を開けると、紫色の光が部屋から漏れだした。毒々しい光だと僕は感じた。銀色の鎧が、紫色の光を反射しする。その鎧越しに、中を覗いてみる。宙に浮かぶ水晶に、裸体の女が閉じ込められていた。眠るように目を瞑っている。綺麗な女の人だ。
「なにあれ……」
「きな臭くなってきたな」
 ラッチョが囁いた。まったくだ。こんなシュチュエーションじゃなければ走り寄って、あの女の人の体を隅々までじろじろと……ごほんごほん。なんでもないよ。
 カナタンがカタカタと車輪を震わせて部屋の中に入っていく。僕も後に続いて部屋に入った。
『二百年……長カッタ』
 カナタンの声が震えている。そっと手が伸びて、女の入った水晶に、篭手が触れた。
『ヤット……ヤット……』
「やっと目覚めることができた」
 がくんとゴーレムの体から力が抜け、代わりに水晶の女が目を開いた。そして女が喋った。水晶からするっと、色のついた気体が抜け出すように、女が床の上に足をつく。
 僕はこのとき初めて気がついた。床一面に赤い線が、文字が、びっしりと描かれている。部屋を見渡せば模様が魔法陣のように床に刻まれていた。そしてその中心に、あの水晶と女が居るのだ。
 女がゴーレムに触れた。
「二百年間ゆりかごの役目をありがとう」
 ミスリル銀がとろとろと、火をつけたロウソクのように溶けていく。な、なんなんだ。
 狼狽する僕をみて、女がニヤリと笑った。
「そしてフジミ。君にも感謝しているよ。あの忌々しい、制約を壊してくれた」
「なんのこと……?」
 喋ってみて、僕は口の中がからからに乾いていることに気がついた。口を閉じ、ごくんと唾を飲む。空気だけが喉を通り過ぎていった。
「話しただろ? ゴーレムは規則通りにしか動けない。その規則を書いてあったのがあの粘土板だ」
 なんとなく、なんとなく話が見えてきた。
「アンタは……カナタンさんか」
「いま分かったの?」
 やれやれと裸の美人が肩をすくめる。普段の僕だったらめろめろになるところだが、僕の心の中はもうシルクさんという素敵な女性で満席なのだ。
「ああ……わかった」
 僕はトマサーテが牙の儀式道具を見せてくれたときを思い出す。彼はこう言った。『イヤリングやら指輪やらに混じってこれを見つけた』と。たいていが野暮ったい人間であろう研究員が、そんなに装飾類を持っているのは、そいつが女だったからだなのだ。
 もっと早く気がつけ。邪神教が使う積りで持ち込んだゴーレムだ。新しく主人を決められるなんて、相当難しいことだぞ。専門家にだってちょっとやそっとではできるまい。推論は推論を呼ぶ。
 もともと、ゴーレムは乗り移るために持ち込まれたのだ。自分ひとりだけゾンビ化しないように。研究員たちを騙して魔法陣を発動させる。研究員たちはゾンビへと変わり、自分だけは護衛だと持ち込んだゴーレムに乗り移る。多分、もともとからそんな使用目的で作られたゴーレムだったのだ。
「邪神の信者は、カナタンさん。アンタだったんだね」
 強力なゴーレムといえど、たった一人で複数のゾンビをどうやって一番奥の部屋に閉じ込めたのかも謎だった。逆なのだ。研究員たちは、ゴーレムから逃げるために奥の部屋に閉じこもった。もしかしたらゆっくりとゾンビになりつつある自分達を封じ込めるつもりで。内側から扉の鍵穴を溶接した。そして持ち込んだ粘土板に、ゴーレムに新しく規則を書き込む。この部屋に入れないように。
 にっこりとカナタンは笑った。
「そうよ。うすうす気がついてた奴らのせいで邪魔されたがね。ゴーレムに乗り移ってゾンビ化を免れたら、すぐにこの体に戻るつもりだった。まさか粘土板に新しい規則を追加されていたとは」
 なるほど。一度書かれた制約を書き直すことは出来ないが、新たに違う制約を書き足すことは比較的容易だということか。
「それとだ。私はもうカナタンではない」
 ふわりとしたやわらかい笑みを彼女は浮かべる。あの表情は偽者だ。
「邪神降臨の魔法陣なんだっけ。私は邪神よーとか言っちゃうわけ?」
「それも違うな。当初はその予定だったのだが、ぎりぎりで研究が完成してね」
「研究?」
「おや、ここがなんの研究所が話さなかったかな。私はね、」
 カナタンが微笑んだ。綺麗な笑顔だけど、可愛さがない。僕を見る彼女の瞳は無機質で、ゴーレムの鎧のような重々しい輝きであるように思えた。
「私はエレメントキラー。邪神の力を触媒にして、この肉体をエレメンタルキラーへと作り変えた。今だったら分かるよ。まさか君が精霊憑きだとは」
 ああ、最悪。目をつけられたくさいぞ。ラッチョの疫病神め。
「逃げろ」
 ラッチョに言われるまでもない。僕は素早く十歩下がり、この部屋の外に出ると扉をバタンと閉めた。ラッチョだけ消してくれるなら、お姉さんナイス! とか崇めちゃうわけだけど。なんだか僕まで一緒に消されそうな雰囲気なんだもの。そんなの困る。
 水には水の精霊がいる。闇には闇の精霊がいる。煉瓦のような土には、土の精霊がいるのだ。
「土の精霊!」
 頭の裏に力をこめて僕は叫ぶだけでいい。ラッチョを介して、土の精霊が僕の言うことを聞いてくれる。たまに聞いてくれないが。
 床の煉瓦が持ち上がり、ドアの前にどかどかと摘みあがる。エレメンタルキラーといえども、物理的な質量をどうにかすることは出来まい。ふふふー
「フジミ! こんな余計なことしても意味ねえよ! さっさと逃げろ」
「僕の素敵頭脳プレイを余計なこととは」
 言いかけてる途中に、土の壁がさあぁと砂に変わった。
「ふふふ。ボウヤ。こんにちは」
 砂山が崩れ、その向うから裸の女が現れた。木の扉なんてものもとっくに分解されているみたいだ。
「あー。そういえばミスリルも簡単にどろどろにしてたもんね」
「すごいでしょう。邪神の力よりもこっちを選んだ理由が分かったかな?」
 彼女がゆっくりと僕の方に手を向ける。だが僕が手を上げる方が早い!
 てのひらに作った魔法弾をアイツの足元の砂山に投げつける! 着弾と共に魔法弾がはぜて、砂がはげしく舞い上がった。
 広間への廊下へと僕は走る。一瞬、足がぐらりとふらついた。魔法以上に精霊術は僕の体力やら気力やらを消耗させるのだ。ラッチョ曰く、自然の大いなる力を使う代償だとか言っていた。小さな力でも使うごとに寿命が一日とか縮むらしい。人間の借金取りよりたちが悪い。とんでもない話だ。エレメンタルキラーの力にもこれくらい代償はあるのだろうか。見た感じぴんぴんしているし……なさそうだなぁ。
 一度両手を地面について、ふらつく体を支えた。それが良かったらしい。僕の走る速度を量ったのだろう。広前の回路への出口に、紫色の矢が突き刺さる。あのまま走っていたら貫かれていた。体勢を立て直して部屋から広間へと駆け抜けた。
「外まで逃げられると思う?」
「無理。多分お前が廊下をヒーコラ走って上を目指しても、床を全部砂に変えられてまた下に逆戻り」
「ゴーレムのとき以上に卑怯な体だね」
 僕の最大の切り札は、精霊術なわけだけど。こんな場所じゃあ精霊なんてほとんどいない。闇の精霊と土の精霊くらいだろうか。精霊と直接話したこともあるけど、闇の精霊は語尾に「ニンニン」をつけるし、土の精霊は語尾に「でごわす」とかつけて言う。正直理解できない奴らだ。
 広間の真ん中まで僕は走ると、くるりと回って、エレメンタルキラーが出てくるであろう回路を見つめた。息を吸い込む。
「おや。待っててくれたのかな」
 すぐに、彼女はやってくる。僕を捕らえることなど簡単だと分かっているのだろう。余裕な様子だ。
 分かってない。全然分かってない。二百歳といえどもあいつは所詮、エレメンタルキラーのなり立てだ。二十年間、この嫌味ったらしいわけの分からない精霊と付き合ってきた僕に比べれば、初心者でひよっこなのだ。
 エレメンタルキラーなら、無駄口を叩かず、僕をすぐさま殺さなければ成らないのだ。そうしないと勝ち目なんて無いのに。精霊を消す間もなく、アンタを消してやる。
 吸い込んだ息を、盛大に吐いた。
「クッッッッッッッッッッッソ、ババァァアアアアアアアアッ!」
 大声が広間に反響する。くそばばあくそばあばばくそばくそばばくそああああああ。
 そしてここは、音の精霊の領域だ。精霊の中で唯一自由に喋れる、音を自由に扱える、ラッチョの空間だ。こいつが出てきた可愛らしいオルゴールほど、僕の演奏は可愛くない。
 大暴れしやがれ。クソ妖精。僕は頭の上の奴に力を解放させる!
 反響する音が、牙になって爪になってエレメンタルキラーに襲い掛かった。お前がこれから発する悲鳴さえも、すぐにお前を気付ける刃となる。
 音の打撃に、壁が剥がれ落ち、瓦礫が容赦なく降ってくる。エレメンタルキラーは僕の叫びにずたずたにされ、宙を舞い、空中で殴られ、瓦礫に潰され、床から跳ね返る音に刻まれる。僕は叫び続けた。
 酸欠か、精霊の力を使いすぎたのか分からない。フラフラと足が頼りなく折れ曲がったなと自覚した瞬間、僕は床とキスをしていた。


 風に頬を撫でられて、目が覚めた。夜の、湿気を帯びた優しい肌触り。もう少し温かければ、シルクさんの手なのかと勘違いしたかもしれない。目を開けて、すぐそこにトマサーテがいたときは、シルクさんだと勘違いしなくて良かったと思った。彼は焚き火の傍で焼き魚を食べていた。
「ん? 起きたか。食うか?」
 なんとなく腹が立つよりも、まず腹がすいていたので、僕は素直に魚を貰った。
「ラッチョに聞いたが大変だったようだな」
「おっさんだったら確実に死んでたね」
「ふむ。なら今後も、私だったなら死にそうな仕事は、君に頼むことにしよう」
 ふざけんな。と思ったが、魚のおかわりが欲しかったのでとりあえず悪態はつかないことにした。
「フジミ。ちょっとはトマサーテに感謝してやれよ。瓦礫がお前の上に落ちてきそうなとき、とっさに助けてくれたんだぜ」
 ラッチョが言ったことに驚いた。
「あそこにいたの?」
「見捨てるわけには行かんだろう。最深階でお前と裸の女がでてくるのを影から見ててな。様子を見ていたら危うくお前に殺されそうになったというわけだ」
 あそこに居合わせてよく生きてたなあ、この人。エレメンタルキラーより丈夫なんじゃないだろうか。僕の表情を読んだのだろう。
「やばい空気のときは出来るだけ離れて隠れるのが生き残るコツだ。くずれる遺跡からの脱出にも応用できるぞ」
 応用しなくちゃならない機会が、余りあって欲しくないしたくないコツだな。
「ん。動かない方だいいぞ。腕や足の骨が折れている。あまりあの術は使わないほうがいいな。叫びながら空中をくるくる回っていたぞ、おまえ」
 それは……壮絶ですね。見たかったような、見たくないような。どうやら僕も、それなりにまあまあ丈夫な体をしているようだ。
「まあ畑を耕すのにはいいかも知れんな」
 トマサーテが親指で向こうをくいくいと指した。首を伸ばしてそちらの方を見てみる。夜だが、星明りで十分なくらいはっきりと分かった。地下施設がすべて落盤したのだろう。隕石が押してきたかのような大きなすり鉢上の大穴が開いていた。
「ここの畑の下には、元ゾンビの死体や、エレメンタルキラーが埋まってるけどね」
「そこで作った野菜の味はボチボチというところだろうな」
 墓地とかけた駄洒落だろうか。
 

 宿二階の自室で寝ていた僕に、シルクさんが薬をもってきてくれた。こんな包帯だらけの情けない姿、あまり見られたくないのだが。まあ怪我をした僕を気にかけて、シルクさんがお見舞いに来てくれるのは嬉しいけどね! 怪我してよかった!
「よく生きてたねえー。若い子は丈夫だなぁ」
 シルクさんシルクさん。あなただって十分若いよ。ええっと僕のデータによれば十七年と六ヵ月と十二日歳! あの嫌なエレメンタルキラーの十分の一以下の年齢! 素晴らしい! つるつるの肌。初々しい言葉遣い。素晴らしい足!
「おいフジミ。鼻が伸びてるぞ」
「べつにウソをついたり自慢をしたりはしていない。それを言うなら鼻の下だ」
「やっぱりスケベな事を考えてたか」
 はっ! 誘導尋問!!
 シルクさんに出してもらった薬と、アップルジュースを一緒に飲む。うむ、アップルジュースは美味しいなあ。
「じゃあそろそろ下に戻るね」
 僕の看病ばかりしているわけにも行かない。シルクさんには宿の一階でやっている食堂の、給仕という仕事もあるのだ。
「あ、僕も一緒に行きます」
「寝て無くて平気なの?」
 もちろん。ラッチョの自然の加護云々のおかげで傷の治りはちょっと早いし、それに瓦礫が避けてくれたおかげでもともと傷は少ない。医者が薬代欲しさに、余計に包帯を巻いただけだ。
「いたた……まだちょっと痛いです。でもリハビリを兼ねて下に行こうかと」
「あまり無理しないでね。はい、私の手につかまって」
 ふふふ。僕の手持ちの札、嘘の上手さは今日も冴えている。罪悪感もあるけど、それ以上に得る物もあるのだ。
 もっともこの幸せも下の階につくまでで。僕がテーブルに着いたら、シルクさんはウェイトレスの仕事であたりを走り回らなければ成らない。なかなか料理の上手い店としても知られているのだ。料理を作っているのはシルクさんのお父さんで、はげててあまりシルクさんに似てない。彼女は母親似だな。
 シルクさんのお尻を目で追いかけている不埒物(彼女のにわかファンはたくさんいる)に殺意を覚えつつ、出てきた料理をおなかに収める。なんだかんだ言って依頼報酬がでたからちょっとリッチにお肉とか頼んじゃったりして。おいしー! トマサーテが救出料とかいって、報酬を半分くらい値切らなければもう一ランク上の肉を食べていただろうけど。あのどケチめ。今度怪しい依頼を持ってきたら、尻を思いっきり蹴ってやる。
「フジミちゃん。合い席いい?」
 シルクさんが僕に話しかけてきた。シルクさんの合い席だったらいつでもオッケーですよ。僕の心の席はいつもシルクさんでいっぱい……って、向かいの席に座るのは違う人ね。あっそ。
 やってきたのは女の人だったが、僕はシルクさん以外には興味ないのだ。まあちょっと美人だけどね、うん……どっかで見たこともあるようなないような気もするけど。
「ああ、お互い暗いところに居たから、なんだか初めて顔合わせする気分」
 ……思考がとまった。
「前回は私の負けだったわ。他にはどんなふうに力を使うの? ああいいわ教えなくても。自分で調べるからね。まだまだ学ぶことは多いなあ」
「あー。えーっと……」
「しばらくは街でも見て勉強するつもり。二百年もたつと色々変わるのねえ」
 なんであんたがここに居るんですか。こう、シュチュエーション的に、やっつけてばんざーいっていう感じじゃないの……?
「じゃあまた今度ね。折を見てリベンジに来るから。小さい精霊使いの、先輩さん」
 すっと彼女は立ち上がると、食堂の喧騒の中をすたすたと静かに歩いていく。そのまま店の外に言ってしまうまで僕は彼女を目で追いかけた。
 店に来たなら何か注文くらいしていけよ。ただし僕から街一つ分くらい離れた席で。
 あいつのせいでうきうきした気分は一気に沈んだ。ご飯を食べ終わっても部屋に戻りたくない。一人になるのが怖いなあ。
「やー。まさか生きていたとはびっくりだな」
 ラッチョが言った。何でお前はそんな軽いんだ。
「どうしたフジミ。部屋に戻らないのか?」
 僕は二回への階段を見たがスグに視線を目の前の空皿に戻す。
「上にあがりたくない」
「そりゃあ上には降りれないからな」
 おまえ、トマサーテに影響されすぎだ。
 少なくとも僕は、あの女とのわけのわからん勝負から降りたい気分ではある。しかし降りられない。下らない勝負を降りられない。あ、いま言葉の矛盾を発見した気分。矛盾とは美しい……わけがない。


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